母からのメッセージ

 
 2023年の正月三が日が過ぎた頃の深夜に、私が寝床から起きて別棟のトイレに小用に行こうとしたら、経路上の畳の上に昔、100円ショップで買った帽子が落ちていました。
 
 母が亡くなってから十年がぐらいに成りますが、亡くなった直後から今日まで、様々なメッセージを受け続けて来たので、そのメッセージの意味を即座に理解し、「未だ、母は世の中の動きを全部把握しているんだなー」と思い、別棟のトイレで用を足して来てから、帽子を元の位置に戻して何も無かったかのように、また寝床に入りました。
 
   
 
 周りが不織布製の簡易的なクローゼット(紫外線で不織布が劣化してボロボロ)の上に帽子を置いて有りましたが、帽子の重量のバランスから自然に落ちるとは考え難く、いつもの様に「未知の力」を及ぼしたのでは?
 
 余りにもピッタリのタイミングなので、本件の犯罪者の爺の仕業も疑いましたが、勝手口のドアを昼夜を問わず常時ロックして有るので、可能性は低いと思います。
 
 
 なお、上記の帽子は「つば=日差し」が短くて不便なので一切使っていません。
 
 左の画像の100円ショップの帽子に、同じ帽子の「つば=日差し」を接着剤で接着して、「つば=日差し」を長くして、日の出直後の水平線に近い太陽の日差しを防いで早朝散歩をしています。
 
 帽子の「つば=日差し」が短いと、日の出直後の水平線に近い太陽の日差しを防ぐには顔を俯きにして歩かなければなりませんが、「つば=日差し」が長いと帽子を大きく前に傾けるだけで、顔を上げて歩けますが前方の安全に注意が必要です。
 
 こんな帽子を被っている人を見た事が有りませんが、農道などを早朝散歩している人の帽子など誰も注意して見ないので全く気になりません。
 
 なお、ネット通販で販売してる千円(送料込み)ほどのロングキャップの帽子を購入して見たら、ショップのページの写真の印象とは大きく異なり、「つば=日差し」の長さは、100円ショップで売っている200円の帽子と、ほとんど変わりませんでした。
 
 

 
 母が亡くなって間もない頃の事だと思いますが、愛知県田原市に在る蔵王山の東方の丘陵地帯の上に在る三菱東京UFJ銀行の同行専用のATM設置所で、私の銀行口座の残高確認をして見たら、「有る、有る、有る・・・とのメッセージ」とは裏腹で、
私の米国での民事訴訟への寄付は全くなく、暗澹たる心境で「豊橋バイパス」を通って帰って来る途中、騙され、騙され、騙され・・・・・の繰り返しの連続の、その余りの憂鬱さから、対向車線を時速80キロ位で対向して来る大型トラックや大型トレーラーに正面衝突して全てを終わりにしようと思った事も有りました。
 
 自宅に帰って来て、勝手口のドアのカギを開けて家の中に入って、台所の踏み台から「上りはな」と言う部屋に上がって私の部屋に行こうとしたら、台所の踏み台の、すぐ先の畳の上にドーナツ状の磁石と、磁石に吸い付いた釘が落ちていました。
 
 

 
 
 母が亡くなった直後から様々なメッセージを発していたので、上の画像の畳の上に落ちていたドーナツ状の磁石と釘を見て、これも母からのメッセージではと思いましたが、
 
 釘(金)が磁石(吸い付く)=今日は無かったけど、今に金が吸い付く!! と言うメッセージか?
 
 あるいは、本来の位置から剥がれ落ちているので、上記の逆で、金は吸い付かない!! と言うメッセージか?
 
 母が亡くなって間も無い頃で、母からのメッセージの意味合いが未だ良く分かっていなかったので、上記の、どちらともとれる二股膏薬みたいに思えました。
 
 余りにもピッタリのタイミングなので、本件の犯罪者の爺の仕業も疑いましたが、勝手口のドアの、ピッキングでの解錠が困難なドア埋め込み式の高価な錠に加えて、ピッキングに強い南京錠や、そもそもピッキングができないマグネット錠などを沢山かけて有る上に、勝手口の向かい側の上部にセンサーアラームを三台設置して有って、専用のリモコンで解除せずに、人が勝手口の辺りに来ると、けたたましいアラーム音が鳴り続けるので、犯罪者の爺が侵入した可能性は低いと思いました。
 
 因みに、「上りはな」の西隣の「再現写真」の文字が貼り付けて有る部屋が座敷で母が寝起きしていて、「上りはな」の東隣の私の部屋で、私が寝起きしていて、寝ながら常時、母の様子を見守っていました。
 
 私は、現在も、その位置関係のまま寝起きしていて、座敷の北側に設置して有る仏壇が座敷の暗いLED常夜灯に照らされて薄っすらと見えていて、円形の掛け時計で寝たままの姿勢で時刻を確認しています。
 
 「上りはな」の明るいLED常夜灯も、座敷の暗いLED常夜灯も、寝ている私の目に直接光が届かない位置に設けて有ります。
 

 
 
 畳の上に落ちていたドーナツ状の磁石と釘は、
 
 母が勝手にドアを開けて、「上りはな」から大きな段差のある台所に転がり落ちないように、ドアが開かないようにドアの側の穴と、向かい合わせの柱の穴に太目の釘を貫き通して置く為の物で、上の画像の左がドアが開かな状態で、画像の右がドアが開いている状態す。
 
 ドーナツ状の磁石は、ドアを開けようとしてドアをガタガタ動かしても、その振動で穴に貫き通した太目の釘が抜け落ちないように磁石で釘を吸引保持して置く為の物です。
 
 元々、この位置に普通のドアが付いていましたが、そのままでは改造し難いので、元々のドアを撤去して、材木とプラスチック段ボールでドアを作って嵌め込みました。
 
 なお、「再現写真」を取る為に、ドーナツ状の磁石を元の位置に両面テープで貼り付けて撮りました。
 

 
 高齢の母が「上りはな」から大きな段差のある台所に転がり落ちたら命にも関わるような大怪我をしそうでう。
 
 母が大きな段差から転がり落ち無いように、家の中の様々な危険な個所に同じような、ドーナツ状の磁石と太目の釘の仕掛けをして有りますが、前記の他のドーナツ状の磁石は今も全て接着された状態のままで、一か所も脱落していません。
 
 
   
 ドアの黒い円の部分にゴム用の接着剤でドーナツ状の磁石を接着して有りましたが、真っ黒の上に指先で触ってみると、表面が平滑であり、ゴム用の接着剤は黄色いのに何で、こんなに真っ黒で平滑なのかな?
 
 「未知の力」で接着剤が変質したのだろうか?
 
 真っ黒だから、「未知の力」で接着剤が瞬間的に炭化したのだろうか?
   
 ひょっとしたら地球上で未だ見つかっていない物質や原子に変わっているかも知れないと思いましたが、
 
強力なLEDライトで照射して拡大鏡で見てみたら、薄いゴムシートのようであり、ドアの木に床用のニスを塗ってあるので、接着し難いと思って、予めドーナツ状の磁石に薄いゴムシートを貼ってから、ドーナツ状の磁石からはみ出しているゴムシートを鋏で切り除いて、ゴムの面とドアの木の面の間にゴム用の接着剤を塗って接着したようです。
 
 いずれにしても、極めて重大な日に、ピッタリのタイミングで剥がれた落ちた不思議は残ります。
 
 母が居る世界には、「未知の力」を使っても良いが、絶対に証拠を残してはならないと言う掟や暗黙のルールが有るのかも知れません。
 
 
 上記の出来事から暫らくしてから、暇潰しに、車で、我が家から直ぐの浜名バイパス(信号機無しのノンストップ)を経て豊橋バイパス(信号機無しのノンストップ)を通って一時間ほどで行ける、田原市の緑が浜2号緑地(エコパーク緑が浜)に行って、緑が浜公園の駐車場の北端に駐車した車の中から、前方の三河湾の景色を暫く眺めた後、東京製鉄の田原工場の東側に在る田原港の岸壁に移動して、駐車した車の中から三河湾に浮かぶ姫島や三河湾を眺めて暇を潰した後に逆の経路を辿って自宅に帰って来ました。
 
 
  自宅に帰って来て、勝手口のドアのカギを開けて家の中に入って、台所の踏み台から「上りはな」と言う部屋に上がって私の部屋に行こうとしたら、台所の踏み台の先の「上りはな」の畳の上に衣類が落ちていました。
 
 畳の上に落ちていた衣類は、部屋の上部の鴨居に沿って取り付けてあるフックに掛けて有った衣類の内の一着でした。
 
 自宅に帰って来る前に居た東京製鉄の田原工場の東側に在る田原港の岸壁は、前記の蔵王山の東方の丘陵地帯の上に在る三菱東京UFJ銀行の同行専用のATM設置所に、私の銀行口座の残高確認をしに行く直前まで、車の中から三河湾に浮かぶ姫島や三河湾を眺めていた所と同じ場所でしたので、
 
 「銀行口座に寄付金は無いよ」と言う母のメッセージだと思いました。
 
 暫く前の事で辟易していたので、私の銀行口座の残高確認をするつもりは微塵も有りませんでしたが、母は、残高確認をした時の私の心中を知っていたので、私を気遣って、念の為にメッセージをしたのだと思いました。
 
 
 
 
 
 急性硬膜下血種で長期入院していた母が病院を退院して来てから一週間ほどで、母が寝起きしていた座敷に設置して有ったテレビの直ぐ傍で母が転倒して、テレビに頭をぶつけて頭から出血したので、慌てて119番に電話して、救急車に来て頂き病院に直行して病院に一晩泊ってきました。
 
 母が転倒して頭をぶつけたテレビは、使い回しの昔の家具調テレビの台に24インチのアスペクト比が「4対3」のブラウン管式のテレビを載せた物で、以前、居間に設置して有って、母が居間のソファーに座って、水戸黄門や大岡越前、暴れん坊将軍などの時代劇をよく観ていたテレビでした。
 
 母がテレビを見れるように急遽、座敷に移動して有った物ですが、「これは危険だ」と思って直ちに撤去して、急遽、ホームセンターで角材や板を買ってきて、母が転倒しても危険の無い安全なテレビ台を作って、ネット通販で買った26インチの液晶テレビを安全なテレビ台の中に設置ました。
 
 
 
 
 
 
 母が転倒しても危険の無い安全なテレビ台は、初めから角に丸味を持たせてある角材を組み合わせて組み立てて、テレビの上下左右前後全てを角材で囲んであるので、母がどんな姿勢や格好になって転倒しても絶対にテレビに頭をぶつける危険は有りません。
 
 
 横長のソファーに座って母と並んでテレビ観ていて、アスペクト比が「16対9」の26インチのテレビだと小さ過ぎて観難いので、暫くして、32インチのテレビをネット通販で買ってテレビを入れ替えました。
 
 
 
 26インチのテレビの方は、今まで座敷の南側の廊下のような長い部屋で母がテレビを観るのに使っていた22インチの「地デジチューナー内蔵のパソコンディスプレイ」と入れ替えました。
 
 
 
 その後、母との楽しい年月を過ごしましたが、残念ながら、私の留守中を狙って、何度も、繰り返し、本件の犯罪者の爺がピッキングで勝手口のドアの南京錠を解錠して家の中に侵入して、台所の冷蔵庫の中のカルピス原液のボトルに毒物を少しづつ入れて、気付かれないように、徐々に母の体を弱らせて毒殺しました。
 
 その頃、私は、屋根の上に上がって、自分で屋根の「トタン」を錆び難い「ガルバニュウム」に葺き替える作業をしていて、連日、2700mmの長いガルバニュウム波板を屋根の上の端いっぱいまで持って行って、葺き替え作業をしていても何の危険も感じなかったのが、突然、両膝が痛くなり、特に左膝の痛みが酷く、屋根の上での作業がし難くなり、
 
私と連日、日に、午前中と午後の二回も散歩に行っていた母が、急に散歩に行くのを嫌がるようになり、また、急に喋らなくなった事で毒物(ヒ素?)を盛られている事に気付いて、台所のドアに何重にもカギを掛け、ドアに「ピッキングアラーム」も取り付けて、更に、勝手口の向かい側の上部にセンサーアラームを三台設置して、絶対に犯罪者の爺が家の中に侵入できないようにしましたが、徐々に母の体力が落ちてきて、母の体が弱って来て亡くなりました。
 
 母が亡くなる少し前に、・・・・・・・を替えたので、その際に本件の犯罪者の爺が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・の疑いも感じています。
 
 いずれにしても、『k社』の社長の妾の息子は、「私の母を殺した」と認識していたからこそ、犯罪者の爺の「警察に捕まったら死刑に成る」「警察を買収するには巨額の金が・・・・・・・・・・」の口車に乗って、『k社』から、過去に余り例を見ないような巨額の金を盗み出したのであり、犯罪者の爺だけでなく『k社』の社長の妾の息子も真相を知っているはずです。

 
 私の母の姉は百歳以上まで生きた上に、母の兄弟姉妹全員も長命でしたので、本件の犯罪者の爺に毒殺されなければ百歳以上まで生き続けられたと思っています。
 
 私も母の血を半分受け継いでいますので、母の分も加えて?・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 残念ながら母が亡くなったので、
 
 母は家の中に増設したトイレだけを使っていて、全く使っていませんでしたが、念の為に座敷の隅に設置して有ったポータブルトイレと、そのトイレを乗せる手摺台を撤去し、
 
 母が寝起きしていた布団も小さく切ってゴミ袋に入れて可燃ゴミとして出し始め、
 
 半年も、一年も先まで足りるような大量の、ネット通販で買った業務用?の段ボール箱入り(4パック入り/6パック入り)の紙オムツも、ゴミ袋に入れて可燃ゴミとして出し始め、
 
 
 
 
 座敷で行う初七日法要までには、大きくて邪魔な自作のテレビ台も撤去しようとしていたら、頭上から先端に電源プラグの付いた電気コードが落ちてきて私の頭に当たりました。
 
 私は暫く考えて、私が様々な物を処分し始めたので母が寂しがっているのだと思って、それからは母の物を処分するのを止めて母の物をほとんど、そのまま残して有りますので、もし引っ越す事に成ったら、新居に一室、母の部屋を設けて、母の物を全部保管して置いて、私が亡くなった時に、私の遺品と一緒に処分して貰おうと思っています。
 
 紙オムツだけは、もう母も要らないと思って、沢山積み重ねて有った段ボール箱入りの紙オムツを、パック毎、ゴミ袋に入れて可燃ゴミとして出し続けて処分しました。
 
 
 

 
 母がデイサービスに行く際に持って行った鞄も、母がデイサービスに行く際に履いて行った靴も当時のまま玄関に残して有ります。
 
 母が使っていた車椅子も下駄箱の横に白い布を被せて当時のまま玄関に残して有ります。
 
 母がデイサービスに行って作って来た「七夕飾り」も当時のまま玄関に飾って有ります。
 
 青い枠で囲んだ画像は、勝手口の上がり口で、靴やサンダルを当時のまま勝手口の上がり口に残して有ります。
 
 サンダルが砂や埃を被っていますが、母には足が無いと思われます?ので・・・・・
 
 
 

 
 座敷の南側の庭に面した廊下の様に細長い部屋には、母がゆったりと座って庭を眺めたり、テレビを観ていたりしたソファーも当時のままに部屋の西の端の方に残して有ります。
 
 母がソファーにゆったりと座ってテレビを観ていたテレビやブルーレイレコーダーも当時のままに部屋の東の端の方に残して有ります。
 
 なお、左側の画像の、イレクターパイプで私が作った格子は、ガラス戸を少し開けて部屋の中に風を入れて置いても、母が大きな段差の有る庭に転がり落ちないように設置して有った物ですが、撤去してもう無いです。
 
 
 

 
 母が介護生活に入る以前に寝起きしていた「納戸」と言う部屋に、母が着ていた衣類も衣装ケースに入れて当時のままに残して有ります。
 
 母が寝起きしていた座敷と「上りはな」の両方の部屋全体を暖房する為に使っていた、20畳から25畳用のファンンヒーターも当時のままに残して有ります。
 
 母が日中、座敷の南側の庭に面した廊下の様に細長い部屋で、母がゆったりとソファーに座って庭を眺めたり、テレビを観ていたりした部屋を暖房する為に使っていた、4.5畳から6畳用のファンンヒーターも当時のままに残して有ります。
 
 
 

 
 
 納骨の前日の夕方に別棟のトイレに小用に行って、照明のスイッチを押したら右側の画像のような形状のLEDクリアー電球が点滅し続けたので、電球が緩んでいるのかと思って、ソケットに「ねじ込み直し」てみましたが、相変わらず電球は点滅し続けたので、LEDクリアー電球が故障したのだと思って、ネット通販で買った二個の内の、もう一個に取り換えました。
 
 母が亡くなった直後から様々なメッセージを発していたので、「嫁いできてからズート暮らしてきた、この家(うち)から去るのが寂しいよ」、「母屋のトイレは、オッカサはもう要らないからオメーが使いな」と言う母のメッセージだと思いました。
 
 上記の電球は、5Wの普通の透明なガラス電球のフィラメントの部分に四角形の基盤のような物を設け、それぞれの面にLEDを二つづつ上下に配置した構造で、耐久性が無かったのか使っている内に二個目も故障しました。
 
 いずれにしても、母や私にとって重要な日にピッタリのタイミングで、別棟のトイレの照明が故障した不思議が残りました。
 
 

 上記の出来事の翌日の納骨の日は小雨が降っていて、我が家の墓の前で、住職が御経を読みに来る直前に、納骨式?の準備をしていて、「Aさん」が片手で傘を差していて、もう一方の手に持っていた卒塔婆を落として墓の列と、墓の列の間の通路に落とすと共に、手に持っていた沢山の線香を落として通路に散らばらかしました。
 
 墓の列と、墓の列の間の通路は舗装されていましたが、薄っすらと水溜まりができていて、落とした卒塔婆が、その水溜まりに落ちて濡れました。
 
 「Aさん」は慌てて卒塔婆を墓に立てた後、通路に散らばった線香を拾っていました。
 
 私は母の骨壺を胸に抱えながら、その光景を見ていて「どんくさいなー。 『母が亡くなった後に起きた様々な出来事』から、このままでは終わらない。 必ず何かが起きる」と思っていたら案の定、
 
 兄が、「ロウソク立てが割れた」と言いました。
 
 私が墓のロウソク立を見たら、ロウソク立の風除けのガラス製の風防に「ひび割れ」が入っていました。
 
 私は即座に「やっぱり」と思いました。
 
 私が母の心中を代言すると、

 
 
 このページと下記のリンクページを見て頂ければ、このページの理由が分かると思います。
 
 過去に記載したページに記載して有る事も全て本当の事です。
 
 
 
 
 露地栽培では、通常、秋に咲くはずの菊の花が咲き始めました。
 
 2023年6月7日に撮影しました。
 
 菊の花の色は黄色です。
 
 母が育てていた菊の子孫です。
 

 
 
 
 下は上の画像の菊の株を、2023年7月1日に撮影した画像です。
 
 菊の花の色は黄色です。
 
 母が育てていた菊の子孫です。
 
 株元から沢山の茎が伸びた大きな株の一ヶ所目です。
 

 
 

 
 
 
 
 下は上の菊の株から少し離れた別の場所の菊の株を、2023年7月1日に撮影した画像です。
 
 菊の花の色は黄色です。
 
 菊の株全体に満遍なく蕾がついていますが未だ花は開花していません。
 
 母が育てていた菊の子孫です。
 
 株元から沢山の茎が伸びた大きな株の二ヶ所目です。
 

 
 

 
 
 
 
 下は上の画像の菊の株から遠く離れた別の場所の菊の株を、2023年7月1日に撮影した画像です。
 
 母が育てていた菊の子孫です。
 
 菊の花の色は黄色です。
 
 菊の大きな株全体に、画像の一番上の方まで満遍なく蕾がついていますが未だ花は開花していません。
 
 株元から沢山の茎が伸びた大きな株の三ヶ所目です。
 
 昨年、この辺りの菊には薄赤紫色の花が沢山咲いていた「はず」ですが??
 

 
 

 
 
 
 庭に、母が育てていた様々な花の色の菊の子孫が生えていますが、蕾をつけている菊は三株とも黄色です。
 
 なお、菊の株の植え替えは昨年から一切していず、昨年の株から急速に成長した株です。
 
 
 下は、昨年、ヨドバシのネット通販で「日本小菊」の種を買って、種から育てた菊で、全く蕾が見当たりません。
 
 昨年沢山花を咲かせましたが、花の色は、我が家の菊や、早朝散歩中に見かける菊と同じような花の色で、菊の花の色は限られているようです。

 
 
 
 
 
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