私のプロフィールと思い(長文)の続き 
私のプロフィールと思い(長文)の前項
 
 発明歴二十数年、これまでに様々な多くの企業に発明を売り込んできた私の結論。
 
「どんなに素晴らしい発明でも、商品化を企業に頼る限り商品化の可能性はゼロに近い」、それが、発明歴二十数年、これまでに膨大な数の企業に発明を売り込んできた私の結論です。
 
 
発明は自分で商品化するのが確実な近道
 
 
 どれほど巨大な利益を生む可能性が有る発明でも、その発明のレベルが高ければ高いほどに、企業で新製品の企画開発を担当している社員や技術者に妬まれ敵意をもたれるだけで、発明を売り込んだ企業で商品化される可能性は皆無に近いと思います。
 
 米国の膨大な数の企業にEメールを出して、それに対して返ってきた何百通ものEメールでの、米国人の率直な驚きや賞賛の文言と、この二十数年間、日本での発明の売り込みで体験してきた、この文書に記載したようなこととでは天と地ほどの差が有り、あらためて日本人の小ささ、了見の狭さを痛感し、日本の企業に発明の商品化を期待するのは無理だと思いました。
 
 才能の有る人間に対する妬みや敵意にはウンザリです。私に言わせれば、才能の有る人間に対する妬みや敵意は無能の裏返しです。
 
 才能の有る人間に対してライバル心を抱くのは、世界の人々に認められるような発明をしたり、幾つもの新聞記事に成るような発明をしてからにして貰いたいと思っています。

 とはいっても、人様の才能や業績を妬んでいるだけの小さな小さな人間には、一生かかっても世界の人々に認められるような発明は出来ないし、幾つもの新聞記事になるような発明も出来ないと思います。
 
 私の二十数年に及ぶ、日本の企業への発明の売り込みの実体験から言って、企業の企画開発担当者や技術者には偏狭で排他的な心(島国根性)が有り、レベルの高い外部の発明には相当な競争心や敵意を持っていると思います。
 
 率直に言わせて貰えば、どんなに専門家?としての島国根性を持っても、所詮、親の七光りが有っても、並の国公立大学の医学部にすら入れなかった程度の頭でしかなく、そんな頭の程度の人間の妬み、妬み、妬み、・・・・・、敵意、敵意、敵意、・・・・・にはウンザリです。
 
 もし暇でしたら、
有能、無能の程度をチェックしてみて下さい。(信憑性は?)
 
 才能の有る人間に対する妬みと敵意だけの小さな小さな、つまらない人間に、どれ程のことが出来るだろうかと思っています。せいぜい猿真似をしたり、人様のアイデアを盗んだりするのが関の山であり、発明と言えるほどのことは一つも出来ないと思います。
 
 そんな無能で小さな小さな人間に、その企業の命運に関わるようなことを任せている企業は、いずれ消えて行くか、消えないまでも先細りに成っていったり、外国企業に経営権を手渡すのが落ちだと思います。
 
 私が経営者だったら、会社の利益よりも私情(妬みや敵意)を優先するような小さな小さな、つまらない人間は最初から使いませんが、もし万が一、間違って、そんな人間が紛れ込んでいたら即解雇します。
 
 才能の有る人間に対する妬みや敵意は無能の裏返しであり、そんな無能な人間は企業の発展にとって有害無益であり、私が経営者だったら、そんな無能な人間など「ただ」でも要らないどころか、逆に月謝を払うから置いてくれと言ってもお断りです。
 
 私が経営者だったら、世界の人々に認められるような発明を次々と出来るとともに、社外の発明でも大きな利益が見込めればどんどん取り入れて、企業を急成長させてくれるような才能が有る人を望みます。
 
 企業の年間経常利益を従業員数で除した、従業員一人当たりの経常利益が数億円という高収益の企業が日本に何社も有りますが、私だったら、そのような企業を目標とし、あわよくば日本一、世界一の高収益の企業の経営者に成りたい
 
 そして、多くの契約社員が、全国レベルでの高額納税者番付の上位に名を連ねたらと思います。
 
 私が経営者だったら、国籍を問わず中国人でもインド人でも、とにかく才能が有る人間を集めて、特許などの知的所有権で市場を独占できる製品の研究開発に専念し、研究開発から生まれた実際の製品の製造は、国や地域を問わず、その国での良好な労働条件を満たした上で、世界で最も安く製造できる企業に委託します。
 
 インターネットなどの世界的な通信網の発達や、ネット取引の普及により、もはや、地の利などというものはなく、製品の製造の委託にあたっては、仲介業者抜きで世界の製造業者と直接取り引きすれば良いです。
 
 また、製品の販売に於いても、ただ商品を右から左に動かすだけで利益を得ているような、既得権益の上に胡座をかいている流通業者は省いて、出来るだけ流通経路を簡素化すれば良く、更には、インターネットなどを利用した通信販売で、消費者に直接販売すれば良いです。
 
 これからの時代、製造業者にしろ、流通業者にしろ、地の利や、既得権益の上に胡座をかいていて、何も努力しない業者は、存在意義を失って、遅かれ早かれ消えていくと思います。私が経営者だったら、そんな無能で怠惰な業者とは一切取り引きしません。
 
 私が経営者だったら、才能が有る人間一人に対して年に何十億円、何百億円、たとえ何千億円、何兆円の報酬(成功報酬やロイヤルティー)を支払っても惜しくないどころか、それ以上の利益を企業にもたらしてくれたのであれば、その人に感謝、感謝であり、その人に支払う報酬が巨額であればあるほどに、企業に莫大な利益をもたらしてくれたことになり、この上なく幸運なことだと考えます。
 
 
 
 
 もし、幸運にも、才能の有る人に恵まれ、知的所有権を武器にした事業で、莫大な余剰資本を手に出来たならば、発明家としての夢ですが、天才的な頭脳の参加を仰いで、いまだに達成されていない、原子核融合反応による核エネルギーの平和利用を、既存の技術の改良ではなく、従来とは異なる新たな発想を元にして模索したいと思います。
 
 なお、核融合反応による核エネルギーは、太陽を始め宇宙に無数に存在する星々が放ち続けている、想像を絶するような莫大なエネルギーの源ですが、現在に至るまで、人類は核融合による核エネルギーの利用を、原爆(核分裂)の核爆発によって得られる超高温、超高圧、と中性子線で、重水素化リチウムなどから重水素原子、三重水素原子などを生じさせ、それを核融合させて、原子核から巨大なエネルギーを放出させる水爆としてしか実現できていません。
 
(核分裂による核エネルギーも、核融合による核エネルギーも、原子核を構成する核子[陽子と中性子]を結びつけている核力という巨大な結合力に起因してい、原子核変換[核分裂/核融合]によって、核力が小さい原子から、核力が大きい原子に変わるときに、元の質量より質量が減り、減った分の質量がエネルギー[E=mc2]に変わって、膨大なエネルギー[一原子当たり、化学反応によって得られるエネルギーの数百万倍〜数千万倍]が放出されるものであり、その根元は大宇宙の創造に有ります)
 
 もし、制御可能な形で、実用規模の核融合反応を実現できれば、その燃料として海水中に無尽蔵に有る重水素を利用でき、石油や石炭などの化石燃料を使う必要が無くなり、人類が直面しているエネルギー不足の問題や、化石燃料を使うことによって生じる環境汚染や、大気中の二酸化炭素の増加による地球温暖化などの問題は一挙に解決され、未来永劫に渡って世界中の人々に多大の恩恵をもたらすと思います。
 
 また、核融合反応による核エネルギーの平和利用に成功し、それを独占できたならば、人々の生活や産業の根幹であるエネルギー産業の頂点に立つことも出来ると思います。
 
(たった一度の人生、人様の才能や業績に、嫉妬や敵意を持つような小さな小さな人間でいるより、大きな大きな夢を持った方が良いと思います)

 
 
 無数の星々が、核融合によって莫大なエネルギーを放ち続けている宇宙に目を向けると、地球が属する太陽系の太陽は、銀河系(天の川銀河)の中の平凡な恒星の一つにすぎず、その銀河系には太陽のような恒星が二千億も有ると推測されてい、それらの恒星の多くに惑星系が有ると推測されてい、更に、現在認識されている宇宙全体(大宇宙)では、銀河系のような銀河(小宇宙)が一千億以上有ると推測されています。
 
 それにより、宇宙全体では生物が生息している惑星がどれほど有るか計り知れず、宇宙での数十億年、百数十億年の時の流れから、その恒星や惑星や生命の誕生時期の早い遅いにより、地球の文明など及びもつかないような高度な文明をもった生物(宇宙人)がいる惑星がどれほど有るか計り知れません。
銀河系の隣りにあるアンドロメダ銀河 (52,9KB)  
 星空を見上げて、現在認識されている宇宙全体(大宇宙)だけでも、地球から約百数十億光年先(それは約百数十億年前の位置。大宇宙全体は誕生以来急速に膨張し続けている)までの広がりをもつ、その広大な宇宙に思いを巡らせるとき人間の小ささを感じます。
 
 大宇宙のあちらこちらで、現在も、宇宙空間に存在するガスや塵などの星間物質が集まって巨大な重力を生じ、その巨大な重力による超高温[断熱圧縮/重力エネルギーを熱エネルギーに変換]、超高圧と、熱運動によって高速で原子核が飛び交う領域の大きさによって、核融合が始まって新たな星が誕生しています。
 
 終末を迎えた巨大な星が超新星爆発を起こして、膨大な物質やガスを宇宙空間に解き放ち、それが新たな星や惑星の材料となり、新たな星が次々と誕生するとともに、終末を迎えた星が白色矮星に成ったり、巨大な星が超新星爆発を起こして、中性子星やブラックホールに成ったりと、大宇宙全体が巨大な生命体のように新陳代謝?を繰り返しています。
 
(鉄原子が最も核力が大きく、太陽より遥かに質量の大きな巨大な星では、水素原子が核融合してヘリウム原子になる反応から始まって、星の中心に向かって順次、原子量の大きな原子へと、エネルギーを放出しながら核融合が進んで鉄までの原子が生まれ、星の中心に鉄原子が溜まった後に超新星爆発を起こし、そのエネルギーを吸収して、鉄原子より原子量が大きくて核力の小さい様々な原子が生まれます)
 
(宇宙では、原子核反応[核分裂/核融合]によって、核力が小さい原子から、核力が大きい原子に変わり、その時に元の質量より質量が減り、減った分の質量がエネルギー[E=mc2]として放出される反応と、その逆に、超新星爆発などのエネルギーを吸収して、核力が大きい原子から、核力が小さい原子に変わり、その時に元の質量より質量が増える反応があり、原子核を構成する核子[陽子と中性子]を結びつけている核力という巨大な結合力として、膨大なエネルギーの吸収と放出が行われています)
 
 その想像を絶するような大宇宙の壮大さを考えると、50億年ほど先?には終末を迎える太陽と運命をともにする?地球に住んでいる人類に、どれほどの価値が有るのだろうかと思ってしまいます。
 
 更に、宇宙では何千億年、何兆年、あるいは、それ以上の時が流れても、物理の法則通りに変化し続けるだけであり、どれほど先になるかは分かりませんが、もし、現在は膨張し続けている大宇宙が収縮に転じて、その想像を絶するような自らの巨大な重力によって、最終的には、大宇宙全体が一つの巨大なブラックホールへと、光の速度を上回るような速さで際限なく?収縮し、素粒子を構成していた最小単位の粒子?までもが押し潰されて、想像を絶するような巨大な質量[質量もエネルギー]と、想像を絶するような巨大なエネルギーを持った点へと限界?まで収縮した直後に、光の速度を上回るような速さでの膨張(インフレーション)が始まって、それが大爆発(ビックバン)となって新たな大宇宙が誕生したならば、それは無からの新たな出発であり、それ以前の大宇宙に有った生命や文明はおろか物質までもが全て無になります。
 
 一つの大宇宙に始まり(ビックバン?)があれば、いずれ終わりもあり、そのことを考えると、それまで営々と続いてきた生命の進化や、文明の発達に何か意味が有るのだろうかとも思ってしまいます。
 
 現在認識されている大宇宙や、想像を絶するような距離の遠さ故に認識できない?、無限の彼方と表現しても良いほどの遥か彼方に散在する?無数の大宇宙を抱くものこそが、神なのだろうかとも思います。
 
 また、私は、一つの大宇宙全体の持つ質量が一点に集まったときに、その想像を絶するような巨大な質量と、想像を絶するような巨大なエネルギーによって、新たな膨張(インフレーション)が始まって、大爆発(ビックバン)を起こし、新たな大宇宙が誕生するのではとも思います。前記に於いて、質量が一点に集まったときに、新たな膨張(インフレーション)を経て大爆発(ビックバン)を起こす時点での質量こそが、それぞれの大宇宙?一つ一つの全体の質量の大きさを決めている?のではとも思います。
 
 星空を見上げて見える星は、銀河系(天の川銀河)に属する恒星のほんの一部に過ぎませんが、その遥か彼方に散在する遠すぎて肉眼では見えない無数の銀河(小宇宙)に思いを巡らすと、星空の彼方にはどんな世界が有るのだろうか、どんな宇宙人の、どんな生活が有るのだろうかと思いは尽きません。

 
 
 
 
 近年、リストラ、イコール人員整理というような風潮が社会に蔓延してい、労働者の生活などお構いなしの安易な首切りが横行し、人員整理は企業の競争力を強化する為であり、あたかも正当な行為であるかのように平然と、多くの企業で、多くの労働者を不況風の吹く街に放り出しています。
 
 人員整理は企業の収益力を改善し、その企業の業績を上向かせるとの予想から、人員整理をする企業の株価が上がり、人員整理をする経営者が、あたかも優秀な経営者であるかのように評価する向きも有りますが、本来なら、人員整理は、あらゆる手を尽くした後の最後の手段だと思います。
 
 メーカーであれば、他社を圧倒して売れるような製品や、新たな市場を開拓して、その市場を独占できるような新製品を次々と開発して、企業の収益力を改善すればよく、そのような能力も、気力も無い人間ばかりの企業は、どんどん消えていけば良いと思っています。
 
 日本では、リストラ、イコール人員整理という考えが幅を利かせていますが、本来、リストラとは事業再構築のことであり、中国や東南アジア諸国で製造できるものを、人件費を削りに削って日本で製造し、それによって利益を得たとしても、それは労働者の犠牲の裏返しの利益であり、また、そんな事業に明日は無く、とても褒められた商売だとは思えません。
 
 今日の不況は、資本力にものを言わせて、とにもかくにも労働力を大量に確保し、欧米の猿真似商品を大量生産したり、大規模な小売店を大量出店したり、土地を担保にして安易に巨額の融資をしたりと、なんら頭を使うことなく、収益性の低さを規模の大きさでカバーして、それにより大きな利益を得るというような、資本力さえ有れば誰にでも出来る経営の結果だと思います。
 
 私が経営者だったら、大きな資本さえ有れば、誰にでも参入できる競争相手だらけの市場で、コスト削減にしのぎを削るような事業はしません。
 
 また、唯のガリ弁秀才を大量に雇って、他の業者と同じような事業をして、収益性の低さを規模の大きさでカバーして、それにより利益を得るというような事業もしません。
 
 また、人件費を削りに削って、労働者の犠牲の裏返しとしての利益を得るような「後ろめたい商売」もしません。
 
 何千人もの平凡な労働者を使って、数百億の年間経常利益を挙げる企業より、人に秀でた才能のある少数の人の才能を活かして、数百億円、数千億円の年間経常利益を挙げる企業の方が、遥かに価値があると思います。
 
 私が経営者だったら、人を雇うのに終身雇用を最初から保証しないし、それを承知の上で、労働力を売るのではなく、秀でた才能や能力を売るという人の才能や能力を買います
 
 親の七光りさえ有れば、誰にでも手に入れられる有名校の卒業証書や経歴だけが頼りで、本当の意味での秀でた才能や能力を示すものが何も無ければ、私だったら最初から使いません。
 
 
 元々が農耕民族の日本人にはベンチャー精神が乏しく、また、明治以来、今日まで欧米の猿真似で成長してきた日本には、危険を冒してまで、世界に先駆けた新技術で、世界の市場を制覇しようなどという大それた発想は無いと思います。
 
 それとは対照的に、元々が狩猟民族の欧米人には、逆襲されて命を落とすかも知れないような大きな獲物に立ち向かって行く勇気が有ります。
 
 挑戦する獲物が大きければ大きいほど危険は増しますが、それ故に、その獲物を倒したときに得られる利益も大きく、また、何にも代え難い名声も得られ、それこそがベンチャーの醍醐味だと思います。
 
 また、米国には、危険を冒して、世界に先駆けた新技術で、世界の市場を制覇しようとして失敗して大きな傷を負っても、傷を癒して再挑戦できる仕組みが社会に有ります。
 
 欧米で生まれた商品や技術を猿真似した製品ばかりを生産する日本人は、危険を伴わない商売しかしない、形を変えた現代の農耕(欧米から種を盗んできて作物を栽培する)民族だと思います。
 
 とはいえ、危険を伴わない商売であれば、日本に比べて遥かに人口や資源の多い中国やインドに分が有り、危険を伴わない商売に止まっていると、いずれ、日本は世界の人々から忘れられた国に成ると思います。
 
 私は、誰にでもできて命の危険が全く無い農民のような生き方より、逆襲されて命を落とすかも知れないような、大きな獲物を追う狩人のような生き方を望みます。ただし、私は、体力や無謀を武器にするのではなく、頭脳を武器にして巨大な獲物に挑戦します。
 
 近年、米国では、新たなベンチャー企業が次々と生まれ、創業後わずか数年、あるいは、数十年で創業者に何千億円、何兆円という莫大な創業者利益が入るというアメリカンドリームが、幾つも現実のものに成っています。
 
 1975年に創業したマイクロソフト社が、その株式の時価総額が5595億ドル(1999年12月15日の時点/約五十八兆円)と世界最大の企業に成り、その創業者が1000億ドル近い資産を持つ世界一の大富豪に成ったのが、ベンチャー企業の成功例の最たるものだと思います。
 
(新聞記事によると、上記、マイクロソフト社の株式時価総額[約五十八兆円]は、東京証券取引所の一部上場企業全ての株式を合わせた株式時価総額[約四百十四兆円]の七分の一に匹敵する計算になるという/1999年12月15日の時点)
 
 マイクロソフト社は、WindowsやOfficeで、それぞれの市場で80パーセント以上の市場占有率を持ち、利益率も80パーセント以上?と驚異的に高く、儲かって儲かってしようがない状態だという。
 
 米国には、独創的なアイデアさえ有れば、創業する為の資本が無くても、その創業を支援すベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルが有り、更に、先進的なものを積極的に受け入れる市場も有り、才能が有る人間が巨大な富を得られるチャンスが、日本とは比較にならないほど沢山有ると思います。
 
 上記と比較して、日本には、ベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルと言えるものは、ほとんど無く、有るのはベンチャービジネスへの投資とは言えない、元本プラス金利を確実に回収しようとする融資だけだと思います。
 
 融資と投資の違いは、融資では、50の事業に融資して、その内の1つが破綻しても、全体として損失になりますが、投資では、50の事業に投資して、その内の1つの事業が成功して100倍の利益を生めば、残りの49までもが失敗しても全体として利益を生みます。
 
 元々が農耕民族の上に、島国育ちで了見の狭い人間が多い日本に、上記の「融資」という発想は有っても、「投資」という発想は、ほとんど無く、日本ではベンチャービジネスに投資するベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルは育ち難いと思います。
 
 日本と米国の社会的な気風を比較するとき、小さな小さなつまらない人間ばかりの日本ではなく、自分の才能を遺憾無く発揮できる米国に生まれていたら、どれほど充実した幸福な人生を送れただろうかと、つくづく思います。
 
 もし、私が、人の才能を素直に認める度量の有る人の多い米国に生まれていれば、いつかのとっくに、私の持つ様々な発明が米国発で世界中に普及して、何百億ドル、何千億ドル?、・・・・・?というような巨万の富を得ていると思います。
 
 
今の時代は、知的財産権(知的所有権)が巨大な富を生む時代
 
 
 日本では、この文書に記載したような現状ですので、知的所有権を尊重する気風の有る欧米の企業に発明を商品化して頂く方が、この美しさを世界中に広める近道だと考えています。
 
 別に、欧米人が善人で、欧米の企業が良心的だと思っている訳ではありまません。
 
 欧米の企業が知的所有権を尊重するのは、欧米では知的所有権の侵害をして、訴訟を起こされて敗ければ、その賠償金の額が数十億円、数百億円になることも珍しくなく、更に、その上の桁の賠償額になった例も有り、企業の存亡にも関わりかねないからだと思います。
 
 米国では、権利の侵害が悪質だと見なされた場合には、通常の損害賠償金の上に、更に、その数倍(最高400%?)の懲罰的賠償金が科されるので、知的所有権の侵害が割に合わないことを、多くの企業が認識していると思います。
 
 日本でも、実際の被害額以上の賠償金を科して、欧米のように、研究開発意欲が高まるようにする方向で検討され、賠償金を実際の被害額の三倍まで認める案は関連する法令との整合性の問題で見送られましたが、特許侵害に対する罰金の上限は500万円から1億5000万円に引き上げられることになりました。
 
 また、国が所有する特許を民間に開放する場合の特許使用料(ロイヤルティー)を自由化することを特許庁が決め、関係省庁に通知しました。民間同士では高い価値の特許に対して、売上高の二十パーセント程度の使用料を支払うケースが有り、特許価値を市場が決めることで研究者の研究開発意欲を高めるとともに、知的財産の保護につなげるのが目的です。
 
(なお、上記は新聞記事から得た情報です)
 
 また、欧米は訴訟社会で、些細なことでも訴えられ、それを引き受ける弁護士も過剰?といえるほどにいて、その賠償要求も巨額になることが多いので、多くの人や企業が、権利を侵害して訴えられないように用心していると思います。
 
 また、欧米では人々の正義感が強く、企業倫理に対する目も厳しく、不正義と映るようなことをして、それが公になった場合のイメージダウンが甚だしいからだと思います。
 
 また、欧米では、相手に少しでも権利を証明するものが有れば、権利を侵害した側が裁判で敗ける可能性が高いからだと思います。
 
 また、裁判での勝算が有りそうな係争であれば、報酬のパーセンテージは相当に高いようですが、成功報酬制でも請け負う優秀な弁護士が幾らでもいると思います。
 
 更に、米国では、有望な新しいビジネスの種さえ有れば、企業を興す為の元手が無くても、ベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルからの投資を受けて企業を興して、そのベンチャー企業を急成長させて株式公開すれば、創業者に何千億円、何兆円という莫大な創業者利益が入るアメリカンドリームも有ります。
 
 そのような諸々の要因により、欧米人が知的所有権を尊重するのだと思います。
 
 上記のようなことから、欧米での発明の商品化を望んでいます。
 
 米国のように、新しい技術を世界に先駆けてどんどん取り入れる先取性が有り、ベンチャー精神旺盛でベンチャービジネスを支援するベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルも整っている上に、実力本位の社会の国であれば、私の発明が受け入れられて、巨大な富を生む可能性が大いに有ると思います。
 
 
 諸々のことを考慮して、私は自分の発明を、自分の手で商品化することにしました。
 
 とりあえず、日本国内で、私の発明した技術を応用した商品を販売し、それを足掛かりにして米国市場を始め世界の市場に進出し、いずれは、私の発明を世界中に普及させたいと思っています。
 
 米国に商品を輸出して、その商品が米国人に支持され、クリスマスシーズンに欠かせないような商品に成れば、いずれ、米国の有力な企業が向こうから日本語の通訳を引き連れて、破格の好条件を携え、私の元に提携や取引の交渉に来ると思います。
 
 今後、力が付けば、原理発明に相当する私の発明を応用した様々な発明や、その構造、製造方法など細かい部分も、特許や実用新案登録として、どんどん出願するとともに、その商品としてのデザインも意匠登録として出願し、長い年月に渡って市場を独占したいと思います。
 
 なお、本技術は基本特許に相当する特許を三件出願し、内一件は審査請求中です。
 
 また、それらの発明などを外国出願もして、私の発明した技術を長い年月に渡って世界的に独占したいと思います。
 
 更に、力が付けば、私が持っている本件以外の様々な発明も、特許や実用新案登録として、どんどん出願して商品化し、行く行くは、人に秀でた才能や能力を持った天才的?な従業員(契約社員)を集めて、それによる少数精鋭で、知的所有権による市場の独占を武器にして、一大勢力に成りたいと思っています。
 
 なお、商品化に大きな資本を要しますが、本件の技術よりも更に大きな利益を見込めそうな発明も既に持ってい、私は、資本金や従業員数ではなく、利益率や従業員一人当たりの利益の大きさで日本一、世界一に成ることを目標にします。
 
 私が住んでいる地から幾つもの世界企業が誕生していますが、私も知的所有権(知的財産権)を武器にして世界企業の創業者になりたい。
 
 近年、株を上場した情報通信関連などの新興の企業の中には、株式投機の対象となって、値上がり期待感から、その企業の本業での業績以上に株価が吊り上がり、株式の時価総額が、一躍、日本で指折りの企業に成るようなことも有りました。
 
 しかし、新聞記事に「ネットバブルに黄信号」との見出しで、市場をリードしてきた情報通信関連株が急落し、2000年4月7日の市場では、□通信は上場来高値の約五分の一、□□□バンクも上場来高値の半額以下に下がり、インターネット関連企業の多い東証マザーズも同様であると有り、市場関係者の言として、「これからのベンチャー企業は、米国のシスコシステムズのように『核になる技術』を持っていなければ、市場で評価されないだろう」と有りました。
 
 私は、上記の記事での『核になる技術』に相当する知的所有権による市場の独占という、世界でも通用する揺るぎ無き裏付けをもって、確実な急成長を目指したいと思っています。
 
 そして、有意義な様々な事業によって、世界中の人々に幸福と利益をもたらしたいと思っています。
 
 
 私には人に秀でた発明の才能が有りますが、商品を売る為の営業をする能力が有りません。
 
 そこで、商品の販路の開拓と、その管理は営業の才能が有る企業や人に任せたいと思います。
 
 上記には、既に企業を経営してい、更なる飛躍を目指して、新たな有望商品を求めている企業や、将来、会社を興して経営者に成ることを目標としているような、独立心旺盛な個人を望みます。
 
 上記に於いて、出資金、契約金、保証金、大量仕入れなど、まとまった出費は求めず、卸し販社として採用した場合に限り、希望が有れば、見本として一台でも卸売りします。
 
 当方は実力と誠実さを重視し、まとまった出費を求めない代わりに一切束縛されなず、当方が不要と判断すれば自由に切らせていただきます。
 
 もし商品を順調に売る目途が立ったならば、販社側に負担していただく送料などのコストや、発送の手間を軽減する為に、段ボール一箱分などの単位で仕入れていただきます。
 
 世の中には、人に損をさせて儲けるような体質の企業が沢山有りますが、私は、特許などの知的所有権による市場の独占を武器にした、真ともな事業で飛躍を目指します。
 
 商品の販売実績と市場を管理する能力次第では、その企業や人がカバーできる範囲内で、都道府県単位、あるいは、関東地方、近畿地方など地方単位での地域独占販売(卸)も考慮しますので、実力次第では、高収益の安定した経営の企業にも成れると思います。
 
 なお、人並みの生活ができれば良いという程度の志しか無い企業や人に、地域独占販売(卸)を認める考えは有りませんので、そのような企業や人は本件への参加をご遠慮下さい。
 
 
オリジナルの独占商品の卸し販社募集
 
 
 最後に、私の別の発明を少しと、趣味?を紹介させて頂きますと、
 
時計の写真 (4,49KB)  双針の針を用いて半回転(180度)で、針の両先端が交代で時間を指し示す仕組みにより、文字盤に写真や絵を自由に着脱できる時計
 
 コンパクトカセットテープレコーダーのキャプスタンに装着して、テープの走行速度を遅くして、長時間録音とテープの節約をする装置。
 
 時計の針の代わりに透明な円板を用い、その円板の厚さの中に光を通し、その円板に設けた凹凸を光らせ、時々刻々と様々な色の、様々な絵柄の光の色模様で文字盤面を飾る時計。
 
 幅広の輪ゴムの任意の部分を裏返すことにより、日付けなどを記憶する輪ゴム。
 
 その他、独創的な発明が数え切れないほど有ります。
 
 私には財力が有りませんので実現できませんが、立体映像を映し出すテレビの方式だけでも、私独自に八種類ぐらいの方式を考えつきました。
 
 私が、新しいものを創造するのが好きなのはいうまでもありませんが、それ以外では、散歩がなにより好きで、長年、毎日早朝から一、二時間歩いています。
 
 私が住んでいる地は気候が温暖で、まだ自然が多く残ってい、散歩中に交通事故に遭う事を警戒することなく気楽に歩ける所が、あちらこちらに有り、今日はあちらに散歩に行こうか、今日はこちらに散歩に行こうかと、その日の気分で、あちこち様々な所に散歩に行っています。
 
イメージマップ - 風景写真(63,4KB)  写真(イメージマップ)のような景色の所を歩くと壮快で頭がスッキリしますが、車で片道三十分位かかるところもあり、遠い所には毎日は行けませんので、最近は主に手近な所を歩いています。
 
 太平洋を望む丘陵地帯を海や周りの景色を見ながら歩いたり、
 
 太平洋に面した海岸沿いの土手、道路、砂浜、波打ち際などを海を見ながら歩いたり、
 
 川沿いの道や護岸を川面や水鳥を見ながら歩いたり、
 
 湖沿いの道や護岸を湖面や周りの景色を見ながら歩いたり、
 
 農道を季節による作物の移り変わりや、遥か北方に見える南アルプスの高峰を始めとする山並みを見ながら歩いたり、
 
 大河川の河川敷を周りの景色を見ながら歩いたり、
 
 海岸に沿って設けられている松林(防災林)の中の遊歩道を周りの木々を見ながら歩いたり、
 
 と様々な自然を楽しみながら歩いています。
 
 自然が残っている所を歩くと、そこここに様々な動物の姿があり、また、季節による植物の姿の移り変わりもあり、退屈しないとともに心が和みます。
 
 早朝から自然の中を歩いていると頭がスッキリして、壮快な気分になり新しい発想が次から次と湧いてます。
 
 長年、毎日歩いていると足が達者になり、十キロや十五キロ位歩いても、とくに歩いたという感覚はなく、これが、いざというとき?に役に立つかもしれません。
 
 
 
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