知的財産権(知的所有権)が巨大な富を生む時代 
目 次
 
    知的財産権を使って世界で一番に
    猿真似専門の日本は世界の人々から忘れられた国になる
    世界的な競争の時代には知的所有権が不可欠
    現在の日本に於ける知的所有権に係る状況[特許登録済み]
    二十一世紀は個性や心の豊かさを売る時代
    この技術が持つ類い希なる優位性
    この技術への私の思い
    この技術の美しさは世界の誰の目にも一目瞭然
 
 
知的財産権を使って世界で一番に
 
 
 GE(ゼネラル エレクトリック)を世界最強の企業に押し上げたGEの会長は、世界で一番か二番に成れない事業は整理する“No.1、No.2戦略”で大きな成果を上げました。
 
 その言では「世界でNo.1、No.2であれば市場を支配でき、製品を高く売ることも出来るが、No.5、No.6では、No.1、No.2がクシャミをすればNo.5、No.6は肺炎になり、市場を支配しているNo.1、No.2に虐められるだけである」とのことです。
 
 GEは、世界の最先端を行く技術、ライバル企業を追い抜くビジネスでのスピード、莫大な企業財産などの裏付けが有って、多くの世界企業が経営の模範とするような企業に成りました。
 
 しかし、大多数の企業には、GEのような力は無く、多くの世界企業と競争して、世界でNo.1、No.2に成るのは難しいと思います。
 
 市場に参入しても、スケールメリットが見込めない為に大企業が手を出さない様な、市場規模の小さい隙間産業的な商品であれば、他社が真似できない技術を持っていれば、世界でNo.1、No.2に成り得ますが、得られる利益や成長には限りが有ると思います。
 
 しかし、本件の知的所有権を有効に使えば、大企業のような力が無くても、新たな大きな市場を得られ、その市場を一社だけで支配し、No.2以下の存在しない市場で世界でNo.1の企業に成り、大きな利益を得て急成長することも可能だと思います。
 
 近年、株を上場した情報通信関連などの新興の企業の中には、博打に近い株式投機の対象となって、値上がり期待感から、その企業の本業での業績以上に株価が吊り上がり、株式の時価総額が、一躍、日本で指折りの企業に成るようなことも有りました。
 
 しかし、新聞記事に「ネットバブルに黄信号」との見出しで、市場をリードしてきた情報通信関連株が急落し、2000年4月7日の市場では、□通信は上場来高値の約五分の一、□□□バンクも上場来高値の半額以下に下がり、インターネット関連企業の多い東証マザーズも同様であると有り、市場関係者の言として、「これからのベンチャー企業は、米国のシスコシステムズのように『核になる技術』を持っていなければ、市場で評価されないだろう」と有りました。
 
 上記の企業の株の中には、二ヶ月足らずで最高値の約三十分の一に急落する株もあり、企業の業績や将来性を買っての株式投資ではなく、博打に近い株式投機そのものだったと思います。
 
 私は、上記の記事での『核になる技術』に相当する知的所有権による市場の独占という、世界でも通用する揺るぎ無き裏付けをもって、確実な急成長を目指したいと思います。
 
 そして、有意義な様々な事業によって、世界中の人々に幸福と利益をもたらしたいと思います。
 
 
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猿真似専門の日本は世界の人々から忘れられた国になる
 
 
 元々が農耕民族の日本人にはベンチャー精神が乏しく、また、明治以来、今日まで欧米の猿真似で成長してきた日本には、危険を冒してまで、世界に先駆けた新技術で、世界の市場を制覇しようなどという大それた発想は無いと思います。
 
 それとは対照的に、元々が狩猟民族の欧米人には、逆襲されて命を落とすかも知れないような大きな獲物に立ち向かって行く勇気が有ります。
 
 挑戦する獲物が大きければ大きいほど危険は増しますが、それ故に、その獲物を倒したときに得られる利益も大きく、また、何にも代え難い名声も得られ、それこそがベンチャーの醍醐味だと思います。
 
 また、米国には、危険を冒して、世界に先駆けた新技術で、世界の市場を制覇しようとして失敗して大きな傷を負っても、傷を癒して再挑戦できる仕組みが社会に有ります。
 
 欧米で生まれた商品や技術を猿真似した製品ばかりを生産する日本人は、危険を伴わない商売しかしない、形を変えた現代の農耕民族(欧米から種を盗んできて作物を栽培する)だと思います。
 
 とはいえ、危険を伴わない商売であれば、日本に比べて遥かに人口や資源の多い中国やインドに分が有り、危険を伴わない商売に止まっていると、いずれ、日本は世界の人々から忘れられた国に成ると思います。
 
 戦後の日本の経済的繁栄には、他の国に一歩先んじて欧米の技術を積極的に取り入れた事や、第二次世界大戦によって多くの生産設備を失ったことにより、新たに新式の生産設備を導入したからという幸運な面が有りました。
 
 今後も、欧米で発明、開発された技術を模倣した高品質の猿真似商品を大量生産し、それを世界の市場で大量販売し、その量産効果によって利益を得るという経営を続けるのであれば、近い将来、日本に比べて人口や資源が格段に多い中国やインドに追い越され、いずれ、世界の人々から忘れられた国に成ると思います。
 
 近年、米国では、新たなベンチャー企業が次々と生まれ、創業後わずか数年、あるいは、数十年で創業者に何千億円、何兆円という莫大な創業者利益が入るというアメリカンドリームが、幾つも現実のものに成っています。
 
 1975年に創業したマイクロソフト社が、その株式の時価総額が5595億ドル(1999年12月15日の時点/約五十八兆円)と世界最大の企業に成り、その創業者が1000億ドル近い資産を持つ世界一の大富豪に成ったのが、ベンチャー企業の成功例の最たるものだと思います。
 
 米国には、独創的なアイデアさえ有れば、創業する為の資本が無くても、その創業を支援すベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルが有り、更に、先進的なものを積極的に受け入れる市場も有り、才能が有る人間が巨大な富を得られるチャンスが、日本とは比較にならないほど沢山有ると思います。
 
 上記と比較して、日本には、ベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルと言えるものは、ほとんど無く、有るのはベンチャービジネスへの投資とは言えない、元本プラス金利を確実に回収しようとする融資だけだと思います。
 
 融資と投資の違いは、融資では、50の事業に融資して、その内の1つが破綻しても、全体として損失になりますが、投資では、50の事業に投資して、その内の1つの事業が成功して100倍の利益を生めば、残りの49までもが失敗しても全体として利益を生みます。
 
 元々が農耕民族の上に、島国育ちで了見の狭い人間が多い日本に、上記の「融資」と言う発想は有っても、「投資」と言う発想は、ほとんど無く、日本ではベンチャービジネスに投資するベンチャーキャピタルや、エンジェルキャピタルは育ち難いと思います。
 
 
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世界的な競争の時代には知的所有権が不可欠
 
 
 企業が世界的な競争に晒される時代となり、国内に限らず世界の何処でも、一番コスト的に有利な所で商品を生産しなくては、厳しい生存競争に生き残れない時代になりました。
 
 このような時代ですので、知的所有権で市場を独占して、安定的に収益を挙げられるような新商品を得て、経営の安定を図りたいと、新規の市場へ独占的に参入ができるような、新技術を探している企業も多いことと思います。
 
 知的所有権による独占が無い新商品では、その商品が売れることが分かれば、必ず、あちらからも、こちらからもと類似した商品が売り出され、そうなれば、労多くして益少なしという結果になる可能性が高いと思います。
 
 それでは、新商品を最初に売り出した企業が、無料で、その商品の技術開発や市場調査や宣伝をしてやったことになり、骨折り損のくたびれ儲けということにも成りかねないと思います。
 
 新商品が売れることが分かれば、資本力に勝る企業が、海外に持つ生産拠点(自社/外注)を使って、それに類似する商品を生産して参入し、更に、中進国や発展途上国の企業も参入すれば、市場での競争に生き残って利益を挙げられるのは、低コストで商品を生産できる企業だけ、ということにも成りかねないと思います。
 
 また、他の業者が参入するのを知的所有権で阻止できない商品では、相当に高度な技術を要する商品でも、見本となる商品の構造や仕組みを丹念に調べて模倣すれば、中進国や発展途上国でも製造可能であり、日本との人件費や諸物価の差から、市場での競争の結果は明らかだと思います。
 
 実際に、インターネットを使ってアジアの製造業者を探してみますと、既に台湾、中国などで日用雑貨や軽工業品は元より、パソコン、半導体、レーザー、電子部品、家電製品、自動車部品、航空機部品、原子力関連部品などほとんどのものが製造されてい、米国や日本でなければ技術的に製造できないものは少ないように思えます。
 
 その為か、米国では、全産業に占める製造業の比率は年々低下し、現在では製造業よりサービス産業が大きな比率を占め、米国内で商品を製造するよりは、アジアの諸国などで商品を仕入れ、それを米国内で販売する業者(サービス産業)が増加していると思います。
 
 また、インドなども探してみますと、中国に次いで人口が多いこともあって多くの業者が存在し、東アジアや東南アジアでの製造がコスト的に不利になったものは、インド、パキスタンなどの西アジアに順次移行していき、今後、ますます世界規模での水平分業化が進むのではと思います。
 
 これからの時代は、先進国の企業が、人件費や諸物価の安い中進国や発展途上国の企業と、市場で商品の安さを競う時代ではなく、様々な知的な価値を加えた商品で、商品としての知的レベルの高さを競う時代だと思います。
 

 
 大企業が手を出さない様な隙間産業的な商品を製造販売して、数億円、数十億円程度の年間経常利益を挙げている中小企業は日本に沢山あり、更に、ゲーム機械メーカーのように数百億円の年間経常利益を挙げている企業も有りますが、その利益は、その市場に大企業が手を出さないことや、未だに東アジアや東南アジアの企業が、その市場に目を付けていないからこその、危うい利益だと思います。
 
 家庭用ゲーム機の市場を例にとると、市場規模が大きく成った為に、大手の電気メーカーが参入し、その結果、それまで我が世の春を謳歌していた?元々の家庭用ゲーム機メーカーのシェアが低下したり、業績が大幅に落ち込んだりしましたが、それは、知的所有権による独占が無い市場には、必ず競争の原理が働くということだと思います。
 
 上記の家庭用ゲーム機ほど市場規模が大きくなくても、コスト競争力に勝る東アジアや東南アジアの企業が、その市場に目を付ければ、日本の企業がいつまで安泰でいられるか分からないような市場が沢山有ると思います。
 
 上記のようなことから、資本力に勝る大企業や、コスト競争力に勝る東アジアや東南アジアの企業が、その市場に参入すのを阻止できる知的所有権による独占がない限り、資本力の無い企業に大きな発展は望めないと思います。
 
 
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現在の日本に於ける知的所有権に係る状況[特許登録済み]
 
 
 下記は新聞記事やテレビなどから得た情報ですが、
 
 1980年代の前半、米国企業が研究開発した技術を外国の企業に模倣されて、研究開発しても、その費用を回収できない為、米国企業の研究開発意欲は低下し、米国産業は衰退していました。
 
 それを打開する為に、米国は、それまで国外での知的財産権(知的所有権)の保護に余り関心が無かったのを改め、諸外国に知的財産権の保護の強化を迫りました。また、国内での知的財産権の保護も手厚くしました。
 
 米国では、知的所有権の侵害に対する損害賠償訴訟での一件当たりの請求額が、平均して、日本円に換算して百数十億円に上ります。
 
 また、米国では、特許などの有無に関わらず、アイデアなどの知的所有権を侵害して、権利者に訴訟を起こされて敗訴すれば、前記のような莫大な賠償金が科されます。
 
 また、米国では、権利の侵害が悪質だと見なされた場合には、通常の損害賠償金の上に、更に、その数倍(最高400%?)の懲罰的賠償金が科されます。
 
 上記のような知的財産権(知的所有権)の手厚い保護により、米国では、大学や企業や研究機関の研究開発意欲が高まり、特許を武器として急成長するベンチャー企業や、それを目指すベンチャー企業が次々と生まれました。それにより、新たな市場を産み出すような技術が次々と開発され、それが、今日の米国での、前例を見ないほど長期に渡る好況の一因となっています。
 
 元大学教授が創業し、わずか十数年で社員数一万四千人、年間売り上げ四千億円の企業に急成長した米国のベンチャー企業、クアルコム(通信技術会社)は自社が持つ携帯電話技術の特許を武器にして、次世代携帯電話の世界統一規格の主導権争いで、世界最大の携帯電話メーカー・エリクソン(スウェーデン)と争って譲歩させ、自社の特許技術が次世代携帯電話の世界統一規格の中に使われる方向にしました。
 
 それにより、クアルコムは、米国の携帯電話市場は元より、欧州を始め世界の携帯電話市場にも進出し、その上、今後、莫大な特許使用料を手にすると見込まれています。
 
 また、米国の半導体メーカーのテキサス・インスツルメンツ(TI)の所有する集積回路(IC)に関する基本特許「キルビー特許」は、これまでに一兆二千億円の特許使用料を得たと推測されている。
 
 コンピュータ業界を例に挙げると、付加価値の高いCPU(中央演算処理装置)とOS(基本ソフトウエア)を、米国のインテルとマイクロソフトに握られて、日本の企業は、台湾や中国でも製造できて競争相手が多く、付加価値の低いハードウエア(機器)の生産に頼っているので、労力の割に利益を得難い構造に成ってい、日本のメーカーで、商売として成り立っているのは数社だけ?です。
 
 日本の企業は、コンピュータに用いる半導体でも、開発するのに創造性を必要とするCPU(中央演算処理装置)ではなく、先進工業国のみならず中進国でも模倣の延長で開発できる?メモリ(半導体記憶装置)の生産に頼っているので、競争相手が多く、その為に価格が市況に大きく左右されて、労力の割に利益を得難いどころか赤字にも成りかねない構造に成っています。
 
 上記で挙げた、インテルやマイクロソフトが、世界規模での業界を代表する企業に成り得たのには、知的財産権(知的所有権)が少なからず寄与しています。
 
 遅蒔きながらも、日本でも知的所有権の保護を手厚くする方向に向かい始めました。
 
 日本でも、実際の被害額以上の賠償金を科して、欧米のように、企業や研究機関の研究開発意欲が高まるようにする方向で検討され、賠償金を実際の被害額の三倍まで認める案が検討されました。
 
 上記の案は、関連する法令との整合性の問題で見送られましたが、特許侵害に対する罰金の上限は500万円から1億5000万円に引き上げられることになりました。
 
 また、国が所有する特許を民間に開放する場合の特許使用料(ロイヤルティー)のパーセンテージが、欧米に比べてかなり低く設定されていたのを廃止し、特許使用料のパーセンテージを自由化することを特許庁が決め、関係省庁に通知しました。
 
(従来、国が所有する特許を民間に開放する場合の特許使用料のパーセンテージが、民間同士の特許取引の目安になることが有りました)
 
 民間同士では高い価値の特許に対して、売上高の二十パーセント程度の特許使用料を支払うケースが有り、特許価値を市場が決めることで知的所有権の価値を高め、それにより、研究者の研究開発意欲を高めるとともに、知的財産の保護につなげるのが目的です。
 
(上記により知的財産の価値が増し、それに比例して知的財産の侵害に対する賠償額が高くなり、知的財産の保護につながります)
   
 
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二十一世紀は個性や心の豊かさを売る時代
 
 
 日本では、生活に不可欠な物は元より、教養、娯楽、趣味、嗜好などに供する物も、既に、多くの家庭に満ち溢れてい、人々は何処ででも手に入る在り来たりの物には食傷気味であり、既に持っている物と機能的にも、能力的にも大差無い、ただ目先を変えただけの物を手に入れるために、無駄な金銭を支出することを望まない人が増えていると思います。
 
 また、昨今では、本当に必要な物だけを、出来るだけ安く入手することを考えるとともに、自分の価値観に合った物であれば、多少値の張る物でも出費を厭わないという人が沢山いると思います。
 
 また、衣食住に満ち足りた飽食の社会では、美しいもの、楽しいもの、心弾むものなど、人の心を豊かにすることにも出費を厭わない人も沢山いると思います。
 
 この様な、賢くて、経済的に余裕が有り、心の豊かさを求める人々に、私の技術(発想)を使った商品が支持されることと自負しています。
 
 消費者の考え方が、ますます多様化していく現在、安ければ売れると言うわけでもなく、高ければ売れないと言うわけでもなく、要は、消費者が商品に出費に値するだけの価値を感じるかどうかだと思います。
 
 知的所有権が存在せず、何処の誰が製造販売しても構わないような商品では、コストプラス適正利潤で売ることすら難しいと思います。
 
 その点、私の技術(発想)を使った商品では、他には無い様々な価値を付加でき、その価値を認める消費者は、価格が少々高くても喜んで金銭を支出すると思います。
 
 美しさも価値で有り、独創性も価値で有り、知的所有権による独占も価値で有り、それらに価値を認める人々に支持されればよいと思っています。
 
 一般店よりは専門店に消費者の足が向く傾向にある現在、単なる物としての価値しかない商品を売るよりは、人々に発想や知恵を売る方が明るい未来が望めると思います。
 

 
 消費は美徳などと言う価値観は既に過去のものとなってい、未だ使える物を買い換えることによって、新たなゴミを発生させ、そのゴミの処理によってダイオキシンなどの有害物質や燃えがらが発生して、環境を汚染するとともに、限りある資源を浪費することになることを、多くの賢い消費者が認識していると思います。
 
 もはや、ものの消費に幸福感を感じるような、旧態依然の発展途上国的発想?の人は少数派であり、世の中の景気が良くなれば、高度成長の時代や、バブルの時代のように商品が売れると考え、この不景気な時代をしのげば、また春が来ると、ただ耐えるだけで何もしない企業に未来はないと思います。
 
 自動車や家電など様々な業界のメーカーが、既に成熟商品になっている商品のデザインを、あれこれ変えたり、どうでもいい機能を付加したりして、次々と目先を変えた商品を出すことによって、わずか数年前に、最新鋭?の商品として売った商品まで陳腐化して、本当の意味での買い換え需要の数倍?の商品を売って、今まで以上の売り上げや利益を確保しようとする経営を今だに続けています。
 
 そんな成熟商品の目先を次々と変えて、人為的に肥大化させた市場がいつまで維持できるか、そんな市場からどれほどの利益を得続けられるか疑問です。
 
 また、新たな市場を創造するような商品を開発することなく、旧態依然の商品にしがみついて、資本力に物を言わせた生産規模の効果によるメリットだけで、相変わらず旧態依然の商品を売り続けるような、資本力さえ有れば誰にでも出来る商売がいつまで存続できるか疑問です。
 
 
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この技術が持つ類い希なる優位性
 
 
 私は、現在、この技術を商品化する企業を求めています。
 
 この技術には、従来の商品や技術には類を見ない美しさ、極めて広範囲の商品や施設への応用、広範な分野に渡る知的所有権による独占権などが有り、どの分野に於いても相当に優位な立場を保持できます。
 
 その優位性を生かす能力の有る企業が使えば、世界や国内の政治や経済の情勢の変化や、人々の価値観の変化などに関わらず、長い年月に渡って、安定的に高収益を確保できると思います。
 
 また、日本の市場の二倍(人口比)の規模を持ち、将来的にも、ますます巨大に成っていく米国市場でも、知的所有権により独占を確保でき、その巨大な市場で、国内を上回る利益を挙げることも可能だと思います。
 
(米国には、キリスト教の一大行事であるクリスマスシーズン(10月〜12月)が有ることや、美しいものや独創的なものを尊ぶ気風が有る為か、この照明技術は多くの米国人に驚きと賞賛をもって迎えられますので、この技術を使った商品を米国で売れば、継続的に相当売れて社会の隅々にまで定着し、いずれ有って当たり前の商品、有って当たり前の技術に成ると思います)
 
 ビジネスが国内での競争だけでなく、世界的な競争に晒されている現在に於いても、また、これからの時代に於いても、商品としての高付加価値の上に、知的所有権による市場の独占が加われば、事業の大躍進も夢ではないと思います。
 
 市場経済では、需要と供給により価格や業者間の力関係が形成されますが、商品としての高付加価値の上に、知的所有権による市場の独占が加われば、取引や販売価格の面で、常に優位な立場を保持できると思います。
 
 
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この技術への私の思い
 
 
 市場経済の国際化によって、経済環境は急速に変化しているのに、相変わらず日本で、「何処の誰が製造販売しても構わないような単なる物」を商品とし、人件費の削減を始めとするコスト削減が全てで、コスト削減しか生き残る術が無いような企業は、諸物価が安い国の企業との競争に負けて、遅かれ早かれ消えて行くと思います。
 
 これからの時代は、商品に付加したアイデアや意匠などの知的な部分が、商品価格の多くの部分を占めるように成るのではと思います。また、そう成るべきだと思います。
 
 私は、「何処の誰が製造販売しても構わないような単なる物」に価値を感じません。そんな物を製造、販売している企業の採算が合おうが、合うまいが知ったことではなく、本当に必要な物だけを、出来るだけ安く入手するように心掛けています。
 
 本当に必要な商品に限っても、いくら高品質でも猿真似商品では、コストに利潤を上乗せしたメーカーにとって妥当な価格を付けたとしても、その商品を消費者が支持するとは限らず、日本製ほど高品質でなくても、その商品に見合った性能と耐久性が確保されていて価格がより安ければ、賢い消費者は、そちらを支持すると思います。
 
 大手のメーカーが生産しても、とても採算の合わないような付加価値の低い製品を、下請けとして国内で生産していた企業が、時代の変化で大手に見捨てられて、それを無名?の自社ブランドとして、微々たる利益しか望めないような、超低価格で市場に出すような商売をしていますが、そのような、安さが唯一の売り物で、何の創意工夫も無い企業は、中国、東南アジア、インド、パキスタンなどの企業との競争に負けて、いずれ消えて行くと思います。
 
 また、上記のような、売ってもメーカーにとって、ほとんど利益の見込めない超低価格の商品を、安さに釣られて買った消費者が愛着を持って長年使い続けるとは思えず、そのような商品は早晩ゴミと化す思います。
 
 ある意味では、そのような価値の低い、どうでもいい商品を生産している企業は、せっせと『即席のゴミの素』を造って世の中に送り出しているようなものだとも言えると思います。
 
 
 
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この技術の美しさは世界の誰の目にも一目瞭然
 
 
 一般的には、今までに無い商品を大々的に売り出す場合、新聞、テレビ、雑誌などの広告媒体を使って、その商品が持つ機能や効果を人々に宣伝する必要が有ります。
 
 しかし、その宣伝効果は人々の目に触れた瞬間だけにとどまるので、繰り返し、繰り返し広告を出す必要が有り、広告費が相当に掛かります。
 
 また、その新商品を世界各国に輸出する場合、その国で使われている言語を用いて、それぞれ、商品が持つ機能や効果を宣伝しなければ成らず、広告費が相当に掛かります。
 
 それに比べて、この技術では、その美しさ、素晴らしさが世界の誰の目にも一目瞭然であり、様々な広告媒体を使って、その機能や効果を人々に宣伝する必要が有りません。
 
 その上、言語を用いて宣伝する必要が無いので、世界の様々な国に容易に輸出できます。
 
 人には、人種、国籍、文化、身分などに関わらず、美しさへの憧れが有るので、この技術は、一般庶民から富豪まで、さらには王侯貴族にまでと、あらゆる階層の人々に支持されると思います。
 
 更に、この技術を使った商品の美しさや独創性そのものが宣伝効果を持ち、商品が買われて、家庭や店舗に飾られることにより、それが人々の目に触れ、それにより、人々が購買意欲を持ち、更に商品が買われてと、その繰り返しで、連鎖反応的に社会の隅々にまで普及していくと思います。
 
 もし、この技術が、電光表示、電飾看板、ネオンサイン(類似)などの屋外広告や、建物の外回りの装飾などに使われたならば、その美しさや独創性が、より多くの人々の目に触れ、この技術が社会へ普及していく速度は、加速度的に増すと思います。
 
 
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 新聞記事などに、
 
工業文明の時代は過ぎた。これからの知識文明の時代には、財産は金を握る人から知恵の有る人の手に移る!」「今や、巨大な富を生み出すのはアイデアや知識などの知的財産権だ!
 
 との文言が有りました。私は、それを読んでもっともだと思いました。
 これからの時代は、何処の誰が製造販売しても構わないような単なる物を売る時代ではなく、美しさ、ときめき、感動、安らぎ、発想、知恵、独創性、創造力、独占などを売る時代です。
 
 
 
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