私が送った手紙で、前代未聞のありとあらゆる妨害を、私に対して、「ホクテック」の社員が何年にも渡って執拗に行っていたことが、もはや明々白々であるにも関わらず、私からの手紙が届いても、「ホクテック」から謝罪の電話一つ有りませんでした。 会社の封筒を使って、会社の総務部長名で、総務部長の判子まで押した文書を送る行為(それも速達で)は、刑法の文書偽造(有印私文書偽造)に該当し、そのような行為を見逃せば社内の規律を保てないので、普通の会社であれば、即、懲戒解雇だと思います。 しかし、なぜか、「荒らし屋」は何のお咎めも受けず、何も無かったように、そのまま勤務しているようでした。 その事から、「荒らし屋」は単なる一社員ではなく、「ホクテック」にとって特別な人間ではと思いました。 有力な取引先の社長などの馬鹿息子を、何らかの理由で預かっているのだろうかとも思いました。 平成11年(1999年)10月2日(土曜日)の昼頃に、瓦工事のセールスが私の自宅に来て、庭にいた母に、しつこくセールスをしました。 母が何度も断っても、しつこくセールスを続けるので、部屋の中で聞いていた私がたまりかねて、カーテンを開けて、声を荒げて、キッパリと断りを言い、窓越しに、その男を見てみました。 二十代に見える、その若い男は、背丈が168センチほどの華奢な体型で、白いワイシャツにズボン姿でした。 突然、家の中から、私に声を荒げられるという予期しない事態に驚いて、その男は、背中を大きく曲げて姿勢を低くして、顔を隠すように顔を俯け、私の視線から逃れるかのようにして、「すいませんねえ」とひとこと言って帰っていきました。 その男が背中を大きく曲げて姿勢を低くして、顔を隠すように俯けた際に、真ん中から左右に分けた髪が垂れて、額が丸見えになり、その丸見えになった額は、まるで二階建ての額ようであり、例えれば「フランケンシュタインのような額」でした。 特徴のある「フランケンシュタインのような額」を見た瞬間に、「ホクテック」のホームページに貼り付けてあった、「ホクテック」の社長「野沢雅男」の特徴のある額に、よく似ていると思いました。 以前に、「ホクテック」のホームページに貼り付けてあった、「ホクテック」の社長の顔写真を見て、人間離れした「フランケンシュタインのような額」が印象に残っていたので、その若い男を見た瞬間に、よく似ていると思いました。 二代目か三代目のボンクラ社長はともかく、それなりの見識があると思われる総務部長や総務係長が、二十代の若造に何もできないでいることと合わせて、その若い男は、「ホクテック」の社長の息子ではと思いました。 それ以前に、「JPNIC Whois Gateway」を使って、「ホクテック」のサーバに関する情報を検索して、「荒らし屋」の氏名は「長谷部昭二」ではと思っていましたので、「ホクテック」の社長「野沢雅男」とは姓が異なり、そのことから、社長「野沢雅男」の隠し子ではと思いました。 水商売上がりの妾の子と考えれば、「荒らし屋」の病的な嘘つき、病的な嫉妬深さの理由に納得がいくと思いました。 その出来事で、それ以前にも二回我が家に現れた若い男が、「荒らし屋」であったことにも気付きました。 その後も、「荒らし屋」からの妨害メールが際限なく送られてくるので、「ホクテック」の社長や管理職に、証拠を添えて抗議の手紙を何度も送りました。 更には、「荒らし屋」が自らの犯行を誤魔化すために、「ホクテック」の封筒を使って、「ホクテック」の総務部長を騙って送ってきた速達をコピーして、その、しらの切りようのない証拠を添えて、「ホクテック」の社長「野沢雅男」に書留郵便で最後通告を送りました。 しかし、「ホクテック」の社長「野沢雅男」は、それらを総て無視し、謝罪の電話一本ありませんでした。 「ホクテック」は、創業してから60年も事業をしていて、米国のカリフォルニア州に、かなりの規模の子会社を2社も所有してい、日本国内にも幾つもの子会社を所有してい、子会社も含めて従業員を400人も、500人も、あるいは、それ以上も雇用しているような企業であり、あまりにも酷く、不正義の極みだと思っています。 (参考資料) |