私は発明家
 
 
 書留・特定記録郵便物等受領証の画像+何度もの予告
  (2017年11月25日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2018年2月17日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2018年7月21日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2018年9月15日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2018年11月14日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2019年1月22日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2019年2月16日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (2019年11月18日に、総理大臣様や各政党の代表様に出した書留郵便)
  (警察庁と法務省、国土交通省が裏で結託した疑惑について記載)
   
 
 
 
 私は発明家を志して、はや、25年になる発明家です。
 
 25年の間には、通算して4900件の発明をし、特許と実用新案登録を自分の手で25件出願しました。
 
 その間には、何人もの新聞記者が私の発明の取材に来ました。
 
 そして、それらの発明が専門紙や一般紙などの新聞記事(無料)に、写真入りの記事として、自分の目で確認したものだけでも8回成りました。
 
 特許や実用新案登録を出願する際には、その発明に関して、それに類似する既存の技術や先願者の有無を調べることが重要です。
 
 また、商品化に要する資本や販路の関係で、発明を自分の手で商品化しない場合には、代わりに商品化して頂く企業を探す必要があります。
 
 私は、それらの情報を得る為に市立中央図書館や、それに付属する産業資料室、県立中央図書館、国会図書館、アメリカンセンター図書館、発明協会の県支部などに数え切れないほど足を運びました。
 
 それらの苦労も遠い過去の事になりました。
 
 インターネットの普及により、インターネットを使って国内外から情報を収集すれば、私にとって有用な情報や、最新の情報を短時間の内に、自宅に居ながらにして、少ない労力で容易に得られ、私には全く読めない英語の情報でも、翻訳サーチエンジンや、翻訳サイトで容易に翻訳できます。
 
 私は、発明に関連した情報を得る目的や、試作に必要な材料を入手する目的などで、隣県に在る大都市に100回位、県庁所在地に40回位足を運びました。
 
 その他にも、さまざまな所、さまざまな施設に数え切れないほど足を運びました。
 
 頻繁に足を運んだ隣県に在る大都市では、雪が降り積もる凍てつくような街を回ったことも、何度かありました。
 
 ムッとするような熱風が吹きすさぶ炎天の街を回ったことも、何度かありました。
 
 その行き帰りの国道一号線では、乗用車がトラックなどの大型車と衝突して、大破した交通事故の現場を何回も目撃し、私の軽自動車だったら、こんな交通事故に巻き込まれたら、そのまま終わりになってしまうのではと思うことが何度もありました。
 
 そのような事故の現場を見た後、私もいつかは、あのような目に遭うのではと危惧しましたが、私が住む街では用が足りず、さまざまな材料や素材、製品を、さまざまな会社、卸業者、加工業者、商店などが扱っていて、特殊な材料や素材なども入手できる大都市へ行くのを止める訳にはいきませんでした。
 
 私に財力が有り、試作品の制作を試作業者に依頼できれば簡単ですが、専門業者に依頼すると、簡単な試作品でも五百万円位は掛かるといわれ、もし、何種類もの試作を依頼したら、どれほどの費用が掛かるか分かりません。
 
 私には、試作業者に依頼するような資金は有りませんでしたので、自分の足で、さまざまな素材や材料を探して入手し、自分の頭をフルに使って、さまざまな工夫をし、試作の為に使うさまざまな自具を制作し、その自具を使って試作をし、何度となく、さまざまな失敗をしました。
 
 その問題点を考察し、また新たに、新たな素材や材料を探して入手し、更に頭を使って、さまざまな工夫をして試作を繰り返し、その過程でさまざまなアイデアやノウハウを得ました。
 
 もし、私に財力が有って、試作を試作業者に依頼していたら、さまざまなアイデアやノウハウは得られなかったと思います。
 
 軽自動車では、事故に巻き込まれたら、一巻の終わりになりそうな東名高速は利用できず、国道一号線などを利用して、東京や大阪、隣県に在る大都市、県庁所在地などに足を運びました。
 
 一般道を利用して東京や大阪まで足を運ぶと、時間帯にも依りますが往復15時間から20時間位は要し、用事を済まして、とんぼ返りすると、自宅に辿り着く頃には、精神的にも、肉体的にも疲労困憊してしまいました。
 
 自宅に辿り着く頃には、疲労で頭が朦朧として、事故を起こさずに、よく無事に帰って来れたなと思った事もありました。
 
 東京からの帰りには、箱根の峠道では夜となってしまい、必ずと言ってよいほどに濃霧が発生して、前方がほとんど見えず緊張の連続でした。
 
 濃霧の為に道に迷い、深夜に、箱根の山中や富士山の山麓の山道を、不安と孤独感をもちながら長時間さまよった事もあり、相当なストレスでしたが、自分の能力を信じて、明日に夢を持ち続ければ、それは、まったく困難でも、苦痛でもありませんでした。
 
 振り返れば、試作材料などの入手の為に、何度となく足を運んだ隣県に在る大都市などでは、さまざまな所で、数多くの親切な人に出会いました。
 
 それらの人々の中には、損得勘定抜きの、本当の意味での親切な人も沢山いました。
 
 電話帳を見て、私が必要とする材料を扱っている業者を探し、その業者を訪ねて行くと、思った以上に立派な建物を構えた会社であることが間々ありました。
 
 その立派さに入るのを、しばし躊躇しましたが、わざわざ遠路来たのだからと、意を決して入って用件を伝えると、どの会社でも、予想した以上に親切に応対してくれました。
 
 私のために仕事の手を止めて、その社の材料や機械を使って、その材料を私が望むように加工してくれ、「今回は無料で差し上げますので試してみて下さい」と加工した材料を無料で下さった社も沢山ありました。
 
 逆に、心卑しい人間に、酷い目に遭わされたことも有りました。
 
 あるとき、発明を売り込む手紙を出したところ、隣県に在る大都市の中小企業の社長から、「発明を直ぐにでも商品化したいので打ち合わせに来て欲しい」との要請の電話が有りました。
 
 そこで、私が先方に出向いたところ、その企業の技術の総責任者と称する中年男が出て来て、恥も外聞もかなぐり捨てて、必死になって私の発明の商品化に反対しました。
 
 その男は興奮して我を忘れ、鼻でせせら笑いながら、私に敵意をむき出しにした態度を最初から最後までとり続けました。
 
 その姿には、技術者としてのプライドの欠片も感じられませんでした。
 
 その場に同席した社長が、それを諫めるかと思いきや、逆に、その男と社長共々に、私がどのような発明を持っているかを執拗に聞き出そうとし、聞き出せないと分かると、その社長は捨て台詞のような啖呵まで切りました。
 
 その社長は、ある世界的に名の知れた大企業の名を挙げて、「あの会社は真似専門で大きくなった。世間では皆、会社名を捩って『まねした〇〇』と呼んでいる」と言いました。
 
 更に、その社長は「よその製品のアイデアを真似して自社の製品を造って、一年か二年の内に売りまくればいい。もし、訴えられたら『知らなかった』と言えばいい。真似した者が勝ちだ」とうそぶきました。
 
 その他にも言いたい放題のことを言い、「特許や実用新案なんか効果が無いが、内は良心的だから、内にアイデアを教えてくれたら、特許や実用新案を出願してなくても金を払うから、どのような発明を持っているか教えてくれ」と執拗に迫りました。
 
 その非常識さに、そちらの都合で、私を遠路わざわざ呼んでおきながら、よくこんな事ができるなと呆れました。
 
 内心思っているだけでなく、実際に、「アイデアなんか盗んで使えばいい」と広言してはばからない企業経営者がいるとは思いませんでした。
 
 そのとき、こんな志の低い人間がやっている会社は長いことないなと内心思いました。
 
 その帰り道、車を運転しながら、「足元を見られて騙された」という思いで腹が立ちました。
 
 その出来事で、企業の企画開発担当者や技術者、経営者の外部の発明に対する心中を垣間見た気がしました。
 
 
 ときには、ある企業が、取引先の中小企業の社長を、私の元に派遣してまで、私がどのような発明を持っているかを執拗に聞き出そうとしました。

 その男は、突然電話を掛けてきて、「新聞記事を見ました。忙しくて直ぐには行けないので、とりあえず、貴方が持っている色々な発明の内で、有力なものを全て箇条書きにして、手紙にして送って下さい」と言いました。
 
 その常識外れの要求に、その魂胆は丸見えでしたので、私は要求を無視しました。
 
 すると、その数日後、突然その男から電話が掛かってきて、「近くの駅まで来ているから迎えに来て下さい」と言いました。
 
 既に、その男の意図が分かっていましたので、私は会うことを望みませんでしたが、近くの駅まで来ていると言われれば、仕方がないので迎えに行きました。
 
 その中年男を自宅に招いて、新聞記事で見たと言う発明の試作品を見せましたが、その試作品には、ほとんど関心を示さず、さまざまな話を持ち出しては、私がどのような発明を持っているかを執拗に聞き出そうとしました。
 
 私は、その男の正体を承知していたので、どのような発明を持っているかを、あの手この手で執拗に聞き出そうとしても、一切教えませんでした。
 
 最後には、聞き出すことが無理だと悟ると、その男は、折り畳み式のカメラを洋服の胸の内ポケットから取り出して、ほとんど関心を示さなかったはずの試作品の写真を撮らせてくれと言いました。
 
 その目的は見当がつきましたが、何の利害も無いので承知しました。
 
 その男を駅まで送って行くと、その場になっても、まだ、「貴方が持っている発明の内で、有力なものを全て手紙にして送って下さい」と言いました。
 
 そして、その中年男は肩を落として、落胆の色ありありの後ろ姿で、駅舎に消えて行きました。
 
 その男に会った時点では、まだ新聞記事を見ていなかったので、その男に、「どのような記事でしたか?、写真は載っていましたか?」と訊ねたところ、親指と人差し指で四角をつくって「こんな小さな記事で写真も載っていなかった」と答えました。
 
 その後に、図書館に出向いて新聞記事を見たところ、その男の話とは大分違って、記事も大きく、写真も載ってい、その男が新聞記事を見ていなかったことを知りました。
 
 そのことで、その中年男を陰で動かしていた人間(企業)の存在に気付きました。
 
 そのとき、私は、その男を陰で動かしていた人間の心に、底無しと思えるほどの卑しさを感じました。
 
 上記の出来事を、顔見知りの社長に話したところ、「実際に私の所に出向いた『証拠の写真を』提出すれば、私から何も聞き出せなくても、新幹線代プラス、日当5万円位は貰っただろう」と言いました。
 
 
 私は、日々の生活の中で、常に、新しい発想の創出に心がけ、思いついたものを図にし、説明文を加えて書き留めてきました。
 
 日課としている散歩をしている時にも、床に就いている時にも、漠然と物思いに耽っている時にも、さまざまな発想が頭に浮かんできます。
 
 大きな独創的な発想が一つ頭に浮かぶと、それに付随したさまざまな発想が、次から次ぎと頭に浮かんできます。
 
 思いついた発想を書き留める手の速さより、枯れることのない泉のように、次から次ぎと頭に浮かぶ新たな発想の方が遥かに多く、詳細に書き留めていると間に合わないので、とりあえず、ごく簡単に要点だけをメモし、発想が出尽くしたところで、メモを見て詳細に書き直すようにしています。
 
 しかし、詳細に書き直していると、新たに、次から次ぎと新しい発想が頭に浮かび、これでは、切りが無いなとウンザリしてくることも間々ありますが、それでも、気を取り直して、発想が出尽くすまではと、最後まで書き留めるように心掛けています。
 
 それらを書き留めたノートが、厚手の電話帳三冊分ぐらいには成りました。
 
  (参考資料
 
 
目次