実話・せつない恋い
 
 
 そのお嬢ちゃんを始めて見たのは、ある春の朝でした。
 
 いつものように、散歩に行くために車で市道から県道に出ようとした時でした。
 
 早朝のために、いつもは誰もいなかった左手にあるバス停に、可愛らしいお嬢ちゃんが赤いランドセルを背負って、背筋を伸ばした凛とした姿で、一人ぽつんと立っていました。
 
 そのお嬢ちゃんは、親に編んでもらったと思われる三つ編みの髪を二本背中に長く垂らしてい、いかにも育ちが良いと思える整ったうりざね顔をしていました。
 
 その凛とした姿は、過去に私が恋い焦がれた同級生の生まれ変わりのように見えました。
 
 私が住む地では、地元の公立の小学校に通う子供がほとんどで、小学校一年生から町中の学校に通う子供はごく希でした。
 
 そのことから、そのお嬢ちゃんは裕福な家庭の子供ではと思いました。
 
 か細い手足をした弱々しい体で、親の見送りもなしで、バスが来る方向を見ている姿は痛々しく見えました。
 
 裕福な家庭の子供を親の見送りもなしで、早朝に一人バス停に立たせておいて、誘拐の心配はないのだろうかと思ったこともありました。
 
 後から考えると、親が子供を強い子供に育てるためだったのではと思えました。
 
 私が散歩に行く時間と、そのお嬢ちゃんがバス停でバスを待っている時間が、同じ時刻頃だったために、早朝、毎日のように、その可愛らしい姿を見掛けました。
 
 いつも、そのお嬢ちゃんは、凛とした姿で、私のことなど目に入らないかのように、バスが来る方向を見ていました。
 
 そのお嬢ちゃんは、歳月の流れとともに、弱々しい体から逞しい体になっていき、小学校高学年になる頃には、生まれの良いお嬢さんという感じになっていました。
 
 歳月が流れて、そのお嬢さんのセーラー服が替わったことで、お嬢さんが中学生になったことを知りました。
 
 三つ編みの髪を二本背中に長く垂らしたお嬢さんの、背筋を伸ばした凛とした姿は、整った顔立ちもあって、TVアニメのセーラームーンを連想させるような凛々しさでした。
 
 そんなある日のことでした。
 
 早朝の散歩を終えて、車で家に帰る途中、市道を左折して県道に入ろうとしたとき、バス停にセーラー服姿のお嬢さんの姿が見えました。
 
 バス停の前を通り過ぎた後、右折して市道に入ろうと、ルームミラーで後方を見ると、私のことなど目に入っていないと思っていたお嬢さんが、私の姿を追うように、私の方を見ていました。
 
 それを見て、小学校一年のお嬢ちゃんの時から、お互いに見続けていてば、私のことが少しは目に入っていたのだろうかと思いました。
 
 中学生とはいえ、小学校一年のお嬢ちゃんの時から見続けてきたお嬢さんに、私に感心があるかのように見られると、恥ずかしくて、そのバス停の前を通り難くなってしまいました。
 
 そして歳月が流れて、お嬢さんが中学校高学年になった頃でした。
 
 当地の秋祭りの土曜日の朝のことでした。
 
 いつものように早朝散歩に行くために、市道を左折して県道を少し走った後、県道を右折して市道に入り走り始めると、脇道からセーラー服姿の女学生が学生鞄を手に、慌てたように走り出てきました。
 
 その女学生は、小学校一年のお嬢ちゃんの時から見続けてきたお嬢さんでした。
 
 そのお嬢さんの姿は、バスに乗り遅れないために慌てて走ってきたように見えました。
 
 そのお嬢さんは、私の顔を見て驚いたような困惑した顔をして、急に走るのを止めて、澄ました顔で上品に歩き始めました。
 
 小学校一年のお嬢ちゃんの時から見続けてきたお嬢さんに、私を意識しているかのような振る舞いをされると、私もお嬢さんを意識してしまいました。
 
 そのお嬢さんは何処の家に住んでいて、どのような家庭のお嬢さんだろうかと関心が湧いてきて、市道を走りながら、お嬢さんが走り出てきた脇道の奥を見てみたところ、当地の町並みには不釣り合いに見える鉄筋コンクリートの豪邸が見えました。
 
 その豪邸を見て普通の家庭ではないように思えました。
 
 その豪邸は、裕福な医師や会社経営の家庭を連想させました。
 
 自治会名簿で、その辺りの戸主の職業を見てみたところ、朝霧病院、会社経営などが目に止まりました。
 
 朝霧病院は、大きな建物を幾つも持つ規模の大きな病院であり、もしオーナーであれば、町内の多くの人が知っているはずであり、それなら勤務医だろうかと思いました。
 
 そのお嬢さんが、小学校一年生から町中の学校に通っていたこと、いつも背筋を伸ばした凛とした姿をしていたこと、品の良い整った顔立ちをしていたことなどから、裕福な医師の家庭のお嬢さんだろうかと思いました。
 
 そのような育ちの良いお嬢さんに、私を意識しているかのような振る舞いをされて、二周りほども違う年の差はあっても、とても嬉しい気持ちになりました。
 
 そのとき、裕福な医師の家庭のお嬢さんなら、将来は、東京女子医大のような医大を出て女医になるのだろうかとも思いました。
 
 数週間後、そのお嬢さんのことをもっと知りたくて、住宅地図、自治会名簿、電話帳などを使って調べてみたところ、裕福な自営業の家庭のお嬢さんであることが分かりました。
 
 そんなある日のことでした。
 
 いつものように、早朝散歩に行くために、車で市道を走り、お嬢さんが走り出てきた脇道に近づいた時でした。
 
 脇道からセーラー服姿のお嬢さんが、学生鞄を手にして、凛とした姿で歩いて出てきました。
 
 既に、私は、お嬢さんのことを意識していましたので、脇道に進路を変えて、その場から逃れたい気持ちになりましたが、お嬢さんと私の間の道路には脇道が一本もなく、もはや、度胸を決めて、進むしかありませんでした。
 
 お嬢さんは、一直線上を歩くかのように、左右の足を交互に綺麗に出して上品な姿で歩いてきました。
 
 すれ違うとき、お嬢さんの顔には緊張の表情が見えましたが、私も同じように緊張していまいました。
 
 その緊張は、かつて、同級生が立っているバス停の前を車で通った時に体験した、心臓が高鳴り、体が金縛りのような状態になった時に似てい、同級生が立っているバス停の前を車で通った時以来の緊張でした。
 
 ある種のスポーツで鍛えたと思えるお嬢さんの逞しい上半身、逞しい腰、筋肉質の脹ら脛は、整った優しい顔立ちとは不釣り合いに思えましたが、その時お嬢さんの姿が輝いて見えました。
 
 お嬢さんは、中学校高学年でも、既に、高校生のような体格をしてい、頼もしく見えました。
 
 お嬢さんは、なぜ、私が市道を走って来るのを予め知っていたかのように、不自然なほど上品な姿で歩いてきたのだろうかと疑問を感じました。
 
 お嬢さんが歩み出てきた、その交差点を通ったときに、辺りを観察してみたところ、そこにカーブミラーが立っていて、脇道から市道の様子が分かることが分かりました。
 
 それに気付いて、私は、ますますお嬢さんを意識してしまいました。
 
 お嬢さんのことを意識してしまった私は、もはや、お嬢さんと顔を会わせるのが恥ずかしくて、お嬢さんと出会わないようにと、散歩に行く道順を変えたり、時間を少しずらしたりしてしまいました。
 
 そして月日が流れて、
 
 クリスマスイブの朝のことでした。
 
 いつものように早朝散歩に行くために、市道を左折して県道を少し走った後、県道を右折して市道に入り走り始めると、前方からセーターにスラックス姿の若い娘さんが歩いてきました。
 
 近づくと、その若い娘さんは、お嬢さんでした。
 
 茶色のセーターに黒いスラックス姿のお嬢さんは、今までは、いつもしていた三つ編みの髪を解いて、しなやかな長い髪を背中まで垂らしていました。
 
 私に気付いたお嬢さんは、顔を俯き加減にして、長い髪を手で触りながら、はにかむように私を見ました。
 
 お嬢さんの、その姿は、とても愛らしく見えました。
 
 すれ違った後、ルームミラーで後方を見ると、お嬢さんは白い鞄を背負っていて、その後ろ姿は、もはや子供ではなく、美しい娘さんという感じに見えました。
 
 クリスマスイブなので、市の中心部で学校の友達と待ち合わせをして、どこかに遊びに行くのだろうか、あるいは、学習塾の冬季特別講習を受講に行くのだろうかと思いました。
 
 その後、お嬢さんの姿を思い返し、お嬢さんが着ていた茶色のセーターは、私が散歩に出かけるときに、よく着ていた茶色のセーターと色や模様がよく似ていて、私のセーターが潜在意識にあって選んだ物ではと思えました。
 
 また、黒や白の服装も、私の服装や車の色が潜在意識にあったのではと思えました。
 
 年の差はあっても、もう、私は完全に、お嬢さんのことを好きになってしまっていました。
 
 再放送されていたTVアニメのセーラームーンを見ていると、セーラームーンにお嬢さんが重なって、お嬢さんのことが思い出されて、目に涙が溢れてきたことが何度もありました。
 
 また、横になって、お嬢さんのことを思っていいると、自然に目に涙が溢れてきたことが何度もありました。
 
 東京の秋葉原に電子部品を入手しに行った帰り道、箱根の峠道を下ってくると、夕闇の中、霞の掛かった右手の山の山麓や中腹に、点在する家々の明かりが見え、そのロマンチックな風景を見ながら車を走らせていると、お嬢さんのことが思い出されて、目に涙が溢れてきたこともありました。
 
 二周りほども年の差があっても、お嬢さんが成人し、愛さえあれば、結婚することが可能なのだろうかと、何度となく、様々なことを思いめぐらし、お嬢さんのことを思って涙しました。
 
 大事に育てられたお嬢さんの上に、二周りほども年の差があったのでは、結納金を五億円も、十億円も持参しなくては許してもらえないのでは、そのためには早く富豪に成らなくてはと思ったこともありました。
 
 あるいは、どれほどの結納金を持参しても許してもらえず、絶縁状態になるか、駆け落ちするしかないのではと思ったこともありました。
 
 様々なことを考えると、所詮かなわぬ恋いなら、私がお嬢さんの前に姿を現さないことが、お嬢さんの幸せになるのではと思えました。
 
 それからは、散歩に行く道順を変えて、お嬢さんがバスを待っているバス停から離れた所にある交差点で、県道を横断するようにしました。
 
 そんなある日、
 
 県道を横断しようと、市道から少し出て右方向を見るとバスが走って来ました。
 
 そのバスを見ると、乗降口の直ぐ後ろの最前列の席にお嬢さんが座っていて、何か言いたげな表情で私の方を見ていました。
 
 その姿は、「好きなら好きで良いのに」と言っているようでした。
 
 叶うことなら、お嬢さんと同じ世代に生まれて来たかった。
 
 もし、お嬢さんと同じ世代に生まれていたら、どれほど幸せだったろうか。
 
 
 私が女性に好かれる容姿をしているためか、これまでに、思い出しても切りがないくらい多くの女性に好意を持たれ、その中には、積極的に女性の方から声を掛けてくることも可成りありましたが、女性のことを思い涙したのは、恋い焦がれた同級生とその妹と、小学校一年のお嬢ちゃんの時から見続けてきた愛らしいお嬢さんのことを思った時だけでした。
 
 もう、女性のことを思い涙するような素敵な女性とは、二度と巡り会えないかも知れません。