猿真似専門の日本は発想を変えない限り世界から忘れられた国になる 
 
 2002年4月30日の新聞記事によると、経営開発国際研究所(IMD)の国際競争力ランキングで、日本の国際競争力は、前年の二十六位から三十位にまで落ちて、前年の三十三位から三十一位に順位を上げた中国に迫られているそうです。
 
 また、2002年4月28日の新聞記事によると、米国の大手格付け会社であるスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は、先に日本の長期国債の格付けを「ダブルA(AA)」から「ダブルAマイナス(AAマイナス)」へと引き下げました。
 
 同じく、米国の大手格付け会社であるムーディーズ・インベスターズ・サービスもダブルAマイナスに相当する「Aa3」から、もう一段の格下げを検討中とのことです。
 
 上記の格付け会社による日本の格付けは、先進国中で最低だそうです。
 
 それらの状態から、今や日本は崖っぷちにあるどころか、崖から落ちかけていると言えるのではと思います。
 
 
 最近の新規創業率を見ると、米国の13.7パーセントに対して、日本は2.7パーセントと約五分の一と低い上に、廃業率が新規創業率を上回っていて、じり貧の状態にあると言えると思います。
 
 その原因の一端は、日本と米国との新規創業者を支援する体制の差異にあると思います。
 
 米国では、優れたアイデアさえ有れば、それに投資する企業や人が沢山ある上に、もし失敗しても、二度と再起できないような債務を負わされることが無いために、果敢に、何度も新規創業にチャレンジできます。
 
 実際、米国では、新規創業で成功した富豪の多くが、それ以前に何度も事業に失敗していて、三度失敗した後に、事業に成功してアメリカンドリームを掴んだ人が一番多いそうです。
 
 それに対して、日本では、アイデアに投資する企業や人は少なく、ベンチャーキャピタルと称しても、もうすぐに株式公開(上場株、あるいは、店頭株)できるような段階の企業の株を買って、株式公開時に売って、その利ざやを稼ぐというものだと思います。
 
 また、日本では、新規創業のために金融機関などに融資をお願いすれば、必ず担保を求められ、もし新規創業に失敗すれば、二度と再起できないような債務を負う可能性があり、このような現状では、新規創業率が米国に比べて極端に低いのも当然だと思います。
 
 
 日本には、ベンチャービジネスを支援するベンチャーキャピタルや、新規創業を支援するエンジェルキャピタルと言えるものは、ほとんど無く、有るのはベンチャービジネスや新規創業への投資とは言えない、元本プラス金利を確実に回収しようとする融資だけだと思います。
 
 融資と投資の違いは、融資では、50の事業に融資して、その内の1つが破綻しても、全体として損失になりますが、投資では、50の事業に投資して、その内の1つの事業が成功して100倍の利益を生めば、残りの49までもが失敗しても全体として利益を生みます。
 
 元々が農耕民族の上に、島国育ちで了見の狭い人間が多い日本に、上記の「融資」という発想は有っても、「投資」という発想は、ほとんど無く、日本ではベンチャービジネスに投資するベンチャーキャピタルや、新規創業に投資するエンジェルキャピタルは育ち難いと思います。
 
 それとは対照的に、元々が狩猟民族の欧米人には、逆襲されて命を落とすかも知れないような大きな獲物に立ち向かって行く勇気が有ります。
 
 挑戦する獲物が大きければ大きいほど危険は増しますが、それ故に、その獲物を倒したときに得られる利益も大きく、また、何にも代え難い名声も得られ、それこそがベンチャーの醍醐味だと思います。
 
 
 日本と米国の社会的な気風を比較するとき、小さな人間ばかりの日本ではなく、自分の才能を遺憾無く発揮できる米国に生まれていたら、どれほど充実した幸福な人生を送れただろうかと、つくづく思います。
 
 もし、私が、人の才能を素直に認める度量の有る人の多い米国に生まれていたら、いつかのとっくに、私の持つ様々な発明が米国発で世界中に普及して、何百億ドル、何千億ドル?、・・・・・?というような巨万の富を得ていたと思います。
 
 
 日本で、景気を回復させるための様々な方策が採られていますが、その多くが、特定の業界の企業を儲けさせるだけの税金のばら蒔きであり、小手先だけの明日のない方策のように思えます。
 
 多くの企業がリストラの名の下に、できるだけ社員を減らして、人件費の安い社外の労働者を導入して、以前は社員が行っていた仕事を社外の労働者にさせる行為を大々的に行っていて、名のある大企業までもが、堂々と、「手配師紛い」の形だけの構内請負業者を間に入れて、人件費をケチっています。
 
 上記のような搾取されて、カツカツの生活をしている労働者も、個人消費の一端を支える消費者であり、そのような労働者が増えれば増えるほど、個人消費は確実に減少し、多くの企業が上記のような姑息な手法で利益を得ようとし続ける限り、つい最近までの米国のような好景気は絶対に訪れないと思います。
 
 また、ガリ弁秀才を始めとする単なる労働力を大量に集めて、欧米で発明された技術を巧みに模倣した高品質の猿真似商品を、資本力にものを言わせて大量生産し、従業員一人当たりの利益の低さや、製品の利益率の低さを規模の大きさでカバーして、それによって大きな利益を得るというような経営手法は、既に時代遅れになっていると思います。
 
 そのような経営手法は、韓国、台湾、東南アジア諸国などでもでき、いずれは、日本とは桁違いに人口の多い中国やインドでも可能になり、発想を変えない限り、日本は、いずれ、世界から忘れられた国になると思います。
 
 2002年現在に於いて、中国の通貨ベースでのGDP(国内総生産)は日本のGDPの20パーセント強に過ぎなくても、中国の物価水準を考慮した購買力ベースでのGDPでは、中国のGDPが4兆数千億ドルであるのに対して、日本のGDPは3兆数千億ドルに過ぎず、購買力ベースでのGDPでは、既に、中国の方が上回ってい、日本と中国の経済成長率の差を考えれば、日の出の勢いの中国に対して、日本は落日を迎えてい、本当に「猿真似専門の日本は発想を変えない限り世界から忘れられた国になる」と思います。
 
 
 
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